テーマ:映画館で観た映画(8698)
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ルーシーです。
映画『沈黙-サイレンス-』を先日観ました。 映画の本質から外れますが、 この時代は人の命・尊厳がコピー用紙のように軽いなあと感じました。 キリスト教も仏教も神道もどれも理解が浅い私ですが、 キリスト教国はキリスト教布教によって日本を植民地にしようとしていたらしいですが、 宣教師の中には宗教者としての純粋な思いで日本に派遣された人もいたと思いたいです。 実は鑑賞中は何も感じませんでした。 鑑賞直後は演出に対する感想しか思い浮かびませんでした。 だから、正直なところブログに感想を書くのやめようかと思っていたのです。 しかし、1日以上自分の頭の中で映像を反芻していると 物語や人物の心情に対する感想がジワジワと湧いてきました。
<ネタバレを含む感想。注意> ・序盤は展開がゆっくりだがキリシタン拷問シーンが出てからは展開の速さが上がった ・OPもEDもヒグラシや波・風などの自然音だけなのが印象的だった。 "神の沈黙"をイメージしてそうしたのか? ・井上様の周りにはいつもハエがブンブンいいながら飛んでいて、 どういうつもりでそう演出したのかわからなかった ・隠れキリシタンの不潔な身なりが生々しくて痛ましい ・主人公ロドリゴ神父が物語序盤ではあらゆる出会い・物事に対して 「神の祝福」として感謝して心も安定しているが、 途中からは「なぜこんなに弱き者が苦しんでいるのに 神は黙っておられたままなのか?」みたいな感じに心情がどんどん暗転し、 踏み絵を踏む場面で彼は「十字架のイエスにも神は沈黙しておられた」のようなことを思い、 その追い詰められていく心情変化が"下り坂からの断崖"のようだった ・隠れキリシタンの1人の生首がぶっ飛んで転がる場面の前後は、 ロドリゴ神父の希望から慟哭へほんの一瞬で振り落とされる構造になっていて、 多くの観客をロドリゴ神父と一緒に絶望へ引き込んだのではないかと思う ・隠れキリシタンを虐殺するのはお役人という人間だし、 神様が黙ったままでも仕方ないような気がしてしまった (人間がやったことは人間で解決しなさいって神様も言うかもよ?) ・フェレイラとロドリゴの対談で、 日本人にいくらキリスト教を教えても日本人は仏教や神道のような概念にすり替えてしまいキリスト教を正しく理解できていなかったというフェレイラの話では、 熱い純粋な想いを持った宣教師さんの努力が無駄になってちょっとかわいそうって思った ・キチジローこそ最も人間らしい ・井上様とロドリゴ神父が貴人立てで抹茶飲んでるときの、 井上様の「石女」発言には個人的にちょっとむかついたw種無しはどうなのさって思ったw <気になった残念な部分> ・五島の村が無人になったところのネコが大量にいた場面が、 アメリカンショートヘアなどの外国種が混じっていた上に、 どのネコも毛並みフクフクの栄養たっぷりで清潔な感じで笑ってしまった。 鮮やかな色とりどりのネコが荒れ果てた村から画面的に浮いて見えた。 ネコを人間の俳優のようにガリガリ・不潔にするのは虐待なので実行できないが、 せめて種類を全て日本のネコにすれば違和感なかったのに。 この映画を観て良かったです。 次回更新日:1月27日(金) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.01.25 16:00:04
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