ルーシーです。
1994年生まれ22歳なので国内の初婚年齢・初産年齢の平均には遠いですが、
子供を産むとか孫を産む的な期待(プレッシャー?)は以前から受けてます。
高校生の頃は親戚が集まるときに
「ルーシーちゃんが結婚して子供を産むのもすぐ先 そう遠くないよね〜」と言われ、
20代に入ってからは両親から
「孫にああしたいこうしたい」「いっぱい産んでね」と言われます。
正直に言うと非常に不快です。胃の底がムカムカ熱くなります。
自分が新しく命をつなぐことを肯定できないからです。
私は発達障害のハの字も知らなかった小4の10歳くらいの頃から
母からの愛情を感じられないのと同時に
自分が生まれてきたことを肯定できませんでした。
(私は言葉かけやスキンシップのようなわかりやすい愛情表現でないと
愛情を感じることができない子供だったが
母は10歳の大きな子供にそれらは不要だと考えていたのだろう)
さらに学年が進み、中学生の家庭科の授業で生活設計を学んで
自分の人生の理想の歩み方を書く課題が出たときは
自分は子供を作らないだろうし作りたくないと思いました。
生まれてくることは確率的には奇跡でも現実的には不幸だと感じていたからです。
死にたいわけではないけど夜に眠ったらそのまま目が覚めないでほしかったです。
「生まれることとは奇跡的な確率だけど現実的には不幸」という考えが
中学生の"中2病"のような一過性の感じ方である可能性もあったのですが、
私はもっと幼かった頃から同じ思いを抱いていたし成人した今もそう変わりはありません。
世の中の大半の人、特に女性は
「いつかは結婚して子供を作る」を人生の通過儀礼にように捉えているのでしょう。
高校の頃、同級生の女の子たちが休み時間に
もし自分に子供がいたらこんな名前をつけたい、こんな習い事させたい
とおしゃべりしていたことはその捉え方を表しているように思えます。
尤も、親と子供は別人格です。
生まれてきたことを肯定できない私から
生まれてきてよかったと思う子供が生まれてくる可能性もあるのです。
それでもやはり、自分の子宮から新しい人間を送り出したくありません。
少子高齢化が進む日本では女性が20代のうちに結婚・妊娠・出産することが
ますます期待されている風潮になっている気がします。
そんな風潮で私の考え方は非国民的です。
だから子供を作らない社会人が日本の子供たちに貢献できることって何だろうと思索中です。
そもそも発達障害者として障害者手帳を持ってる時点で男性から求婚されねーよ!というのは置いといて…
次回更新日:7月22日(土)