先日、新聞に「教育・しつけのもとに虐待する親」について書かれていました。
虐待って、どこからが虐待なんだろう?
特に教育が絡むと線引きが難しくなりますね。
こういう話題になると、別に自分は被虐待児ではないけど、
どうしても自分の負の思い出が頭を覗かせます。
私の母は非常に教育熱心でした。
私が幼稚園に上がるまで見せるアニメは英語のビデオだけだったらしい。
アンパンマンなんか見せたことないって。
また、5歳からは母が家庭で算数を指導していました。
『わかるさんすう』1〜6巻(遠山啓、1979〜1985年にかけて出版)を用いて
算数を先取り学習させたかったようです。
大昔の教材ゆえにモノクロだしキャラクターいないし、
子供に媚びたデザインではありません。
しかし母はこの教材がお気に入りでした。
遠山啓先生の教材は今でも世間で評判が高いみたいです。
他人からすれば教育熱心で素敵なお母さんでありますが、
幼稚園の頃は、私にとって『わかるさんすう』タイムは恐怖の時間でした。
"2桁±2桁"の筆算はまだ機械的にどうにか解いていたように覚えおりいます。
しかし、読解力は年相応(?)に低かったので、
文章題が自力でさっぱり解けなかったのですよね。
問題文を読んでも、手も足も出ない。
母は苛立ちながらも説明するのですが、
母の説明は文章をなぞるだけのもので内容を噛み砕いていない。
何回も同じ説明をするから、説明しながら書くチラ裏は鉛筆で真っ黒。
それでもやっぱり私は文章問題の言いたいことがわからない。
苛立ちが抑えきれない母は激しく怒り狂います。
目の前で激しく怒鳴る。手に持つもので机をガンガン叩く。
私は怯えて泣き叫ぶ。
母はさらに苛立ちを刺激されて、ますます怒鳴って机をガンガン叩く。
と、まあ、どうしたって私の頭が悪いから母が怒り狂うだけの話ですが。
でも、怖いし、酷いことしやがってと怒りまで感じる。
怖い上に、わからない算数問題を幼児がどうやったって解決できないんだから、
穏やかな母に戻すこともできない。
(10代の子供なら自力で教材を調べたりできますけど、幼児には難しい)
算数の指導ははほぼ毎日やっていたので、
自分の非力さと母に対する怒りと恐ろしさでストレスがいっぱいな幼児期でした。
幼児期に限定しなくても、
母は娘の教育や成績が絡むとすぐに血がのぼる人間でした。
母がやらせた中学受験では、
私の成績が振るわなかったり勉強態度が悪いと
「もう受験しなくてもええんやで!」と捨て台詞を履いて
塾の教材を生ゴミの中に突っ込む。
大学受験が目の前に差し迫った高校2年時では
「こんな成績やとまともな大学(国公立大学or早稲田or慶応)行けへんやん!
本当に大学行く気あるん?」
とギャンギャン叫ぶ。(大学に行かないとダメだとそもそも言ったのは両親でしたが)
何であんなにヒステリックになるのか今でも理解できませんが、
「まともな大学に行かせて良い会社で働くようにしないと母としての役割を果たしていない」
という重圧があったのでしょうかね。
結局、私は障害者枠の有期雇用社員として働いているので
母の望んだ人間にはなれませんでした。
大企業の正社員にも高給な男性に守られる専業主婦にもこの先なれません。
発達障害でもクローズの正社員として働く人間は日本のどこかにいるはずで、
でも自分は頭が悪いからうまくやれずに今の社会的ポジションにいる。
本当は賃金をいただけるだけありがたいのですが、
少なくとも両親の期待する娘の生き方ではない。
あれだけ血をのぼらせてヒステリックになるからには、
娘の理想の生き方を両親が夢見ていたからに違いありません。
両親は私にどんな大人になって欲しかったんだろう?
タイムマシンに乗って若かった頃の母に今の私の姿を見せたら、どうなるんだろう。