中高一貫校のときの同級生とサシ飲みしました。
親しい友人はほぼ作れなかったけど
その娘はサシ飲みに誘える程度に親しい貴重な人間です。
会話で特に印象的だった言葉がこちら。
中高時代の私を踏まえての言葉です。
「ルーシー、すっかり普通の人間になったね」
「あの頃のルーシーって会話が成り立たなかったっていうか、
こっちがボールを投げかけたら卓球みたいに返してきてた」
「"人間"っていうカテゴリーと並列して別で"ルーシー"っていうカテゴリーの生き物がいる感じだったよ」
「いや〜、今のルーシーは"人間"だよ」
物心ついた頃から「面白い子」「天然記念物」と言われ、
その言葉が肯定的か侮蔑的かは関係なしに自分にいつもまとわりついていました。
どう考えても発達障害児の奇異な振る舞いのせいでしかありませんが。
しかし、今の私は「普通の人間」に見えているようです。
内面の思考の葛藤は何一つ変わっていませんが。
それでも、中高時代よりも他人の目線を意識して行動しているおかげでしょうか?
服を選ぶとき「自分の骨格や色に合っているか」、
仕事のメールやプライベートのLineでは「一回読んだだけで内容を捉えられるか」、
そんなことを頭の片隅に置きながら行動しています。
こういう工夫には認知心理学が案外活躍する。
知能の凹凸は原則改善しないけど、
知識をフル活用して行動していけば
外面も引きつられて「普通の人間」に近づいていってるのかもしれません。
尤も、外面が「普通の人間」に変化していっても
困っていることや苦しんでいることや失敗しがちなことだけが
思考に残っていくのが残念です。