テーマ:心と家族と人間関係(1264)
カテゴリ:家族
人が子供を欲しがったり作るとき、大なり小なりその子には「こうあってくれたら嬉しい」という理想像があるのではないでしょうか。理想像がぼんやりしてるか具体的かは人によりますが。 私の母は子(特に長女である私)に対して具体的な「こうあってほしい」がありました。そして私も子供の頃は「子は親の望みを叶えるために生まれてくるのだ」と信じて疑いませんですた。 ------------------------------------- 勉強の成績から大学進学の点については、ほとんど母の理想をなぞってこれました。でも、すごく苦しかったし、今でも思い出すと苦しいです。私立中学でいじめられた時は地元の公立中学に移りたいといつも思っていましたが、許されなかったので、歯を食いしばって同じ中学に通い続けました。その陰でこっそり、ネットで知り合った成人男性と直接あって慰めてもらったり色々やりましたが。子供時代から大学生までは、母の望みを7割くらいの感覚で私は叶えてやれたのではないでしょうか。 でも、社会人デビューは障害者採用の一般事務でスタートしました。インテリとか高度な専門職からは程遠い。その仕事すら得るのは大変だった。母は「なんならお見合いでお嫁さんになってもいいのよ〜 障害は最初のうちは黙っておくのよ」とアドバイスしてくれますが、子供なんか全く産みたくない。だって、もし子供が中重度の障害者として生まれたり、引きこもりの成人になったら、愛せないから。非常に傲慢だけど、子供がいたら社会の役に立つ生産性のある大人にしかなってほしくない(何より私自身の生産性が低い)。このように、社会人としても女性としても、母の望みは全く叶えられません。 ただ、母の望みに寄り添う生き方は自分を苦しめる一方です。残念ですが、私はもう母の望みに寄り添う努力はできません。子供の頃に「子は親の望みを叶えるために生まれてくるのだ」と思い込んでいただけに今もそれを完全には拭えず、それで親が気の毒ですが。でも本当に苦しいので、親の望みに寄り添う努力はしないことにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.23 19:50:24
コメント(0) | コメントを書く
[家族] カテゴリの最新記事
|