人を愛するとは? ~誰を愛していますか? 何を愛していますか?~
「落ち込んでいると、人の顔が醜く見える」(アメリカの詩人、故ジム・モリソンの作品『People Ara Strange』より)落ち込んだ気分の中で人は、世界を美しく見つめることは出来ません。ジム・モリソンの詩の言葉にあるように、人の顔や若しくは世界の全てだって醜く見えてくるものです。あなたは、どんな時に落ち込んだりしますか?どんな時に、あなたの瞳に映る世界は醜く澱んでしまいますか?あるいは、あなたは、どんな時に笑顔で活き活きとした表情になりますか?どんな時に、あなたの瞳に映る世界が輝いて美しく広がりますか?僕の場合、計算高いような大人や或いは汚い嘘を感じてしまう大人と対峙したりすることがあると落ち込んだりします。一方、書店や様々な場所で偶然に視界に入った家族連れや子供のはちきれんばかりの笑顔に出会ったりすることがあると、こちらまで活き活きとした笑顔になれたりもします。そうした意味で考えるに、やはり、どのような人と出会い、どのような人と関わるか、或いは、自分自身がどのように生きてゆくのかを内に問うことは大事なことなのだと思います。それは自分の瞳がどのようなものを見つめていたいのかを内に問うことであり、何を愛していきてゆきたいのかを問うことでもあり、人生の可能性を広げ、愚かさに埋没しないためにも、きっと重要で大切なことなのだと思います。http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/8000僕はたまに人間が嫌いになることがあります。少なくとも1,2ヶ月に一日くらいは(もっと多いかも♪爆)、そうした人間嫌いモードに陥ったりもします。人間が嫌いになることがあるなんて、これは実に奇妙な感覚です。何故なら、自分だって「人間」だからです。ゆえに、このような思考というのは傲慢であるともいえると思います。人を呪わば穴二つ、なんて言葉がありますよね。誰かを嫌いになって相手を呪えば、同時に自分の墓穴を掘ることにもなる、という意味の言葉です。僕は「人間が嫌い」なんて風な傲慢で偏った考えに陥っているなと自分で感じる時には、この言葉を思い出すことにしています。思い出すとすぐに少し冷静に戻れたりするのです。自戒の言葉としてこれ以上に機能する言葉は他にないのでは?と思えるほど、この言葉はこの世の真実を突いているように思います。誰かを嫌いになったり、人間社会に嫌気が差すことほど馬鹿げたことはありません。何故なら、自分だって嫌いになった対象である相手と同じ人間であり、そして自分と同じ人間達が長い歴史をかけて作り上げた「社会」を構成するちっぽけな一員に過ぎないのですから。他人を嫌いになったりする暇があるのだったら、黙々と自分自身の仕事や未来の為になることに目をむけ修練を積んだ方が絶対に生産的です。或いは自分自身の内面の至らない部分を省みて、より善き誠真を模索した方がいい。たとえ目の前に嫌いなタイプの人が現れたとしても、そんな人のことに意識を掻き回されることのない、常に穏やかな心を持った人間でありたいものです。自分が「人間が嫌い」モードに陥っている時、前述した言葉を思い出してみても、それでも冷静になれない場合というのもあります。そんな時には一体どうするのか?リーサル・ウェポンがあるのです。そのリーサル・ウェポンとは、自分にとっての聖域・宝物のようなもの。「人間が嫌い」モードに陥って、気分がグレイに八方塞りになってしまいどうしようもない時に、僕は、心の奥からそっと、ひとつの大事なものを取り出します。まさに最終兵器のように。それは『100万回生きたねこ』という絵本。 http://item.rakuten.co.jp/book/78604/この絵本については、ブログをスタートして以来、幾度も日記に書いてきたので改めて詳しくは語りません。『100万回生きたねこ』という絵本を読んだことがあるか否かで、人生の流れに大きな違いが生まれると言っても決して過言ではないくらい素晴らしい物語。愛とは何か? 人が人と共に生きてゆくということの核心には一体何があるのか?どうして人は愛を必要とするのか?どうして人は涙を流すのか?どうして人は何度も何度も生まれ変わり、何度も何度も泣いたり笑ったりを繰り返すのか。どうして人は、人を嫌いになったり、人を好きになったりを繰り返すのか?そして、その果てには、一体何があるのか。それらの問いへの答えは、『100万回生きたねこ』を読めば自ずと分かります。昨夜に久々に旧友から電話があり、何気ない会話の最中に思わず涙を流してしまいました。『コントロール』という最近の外国映画のことを話題に何気ない会話をしていたら唐突に涙が溢れてしまったのでした。この映画の主人公はロック音楽を愛し、ロックな世界に人生の救いを見出した或る1人の文学青年(実際の人物)。数ヶ月前にこの映画のサントラCDを購入したにも関わらず、まだ映画自体を鑑賞はしていなかったので詳しい内容を知らずにいたのですが、旧友との電話の中で映画の内容をネタバレされてしまい(しかもラスト・シーンの描写まで詳しく)、まだ20代であった若き主人公を襲った悲劇が目に浮かぶようで、涙が溢れたのでした。http://item.rakuten.co.jp/neowing-r/wpcr-12837/人生とは常に、はじめから悲劇を内包したものとして僕らの前に現れます。しかし、人生に内包・用意されているのは悲劇ばかりではありません。同時に初めから人生に内包されているものは、悲劇のみならず笑いや感動をも含んだ無数の可能性の総和として本来、僕らの前に提示されているものなのです。『コントロール』という映画の主人公のモデルであり実在のロックバンドのリーダーであったイアン・カーティスという孤独な文学青年が選んだ自死。もし、彼が今、僕と同時代に生きているとしたら、そのように仮定したならば、僕は彼に、どんな言葉をかけるだろう?「人生って素晴らしいもんだぜ、一緒に笑って泣いて進んでゆこうよ!」そんな言葉を笑顔で投げかけるだろうか。いや、僕は、ただ一冊の絵本を手渡したい。『100万回生きたねこ』という絵本を。それだけのことだけど、それだけのことにしか過ぎないのだけど、それだけのことに願いを賭けたいと思う。それによって僅かであったとしても、彼を襲った悲劇は避けられたように思えるから。悲劇が訪れるまでの時間を、少しであったとしても、引き伸ばすことは出来たように思いたいから。他人の迷惑を省みない強欲な獣の如き輩から遠く離れて、人知れず、ただ生きて、生を全うし、花のように愛の色彩を内に育みながら、名もなき人々の中で大事な何かを奏であう人生にこそ本当の人の生の美しさが存在する。悲しいことがあったとしても、そんなものなど小雨が降ったくらいに受け流し、笑顔で自然体で、ただ歩いてゆく、いつの日か、ただ天の召すがままに己の生を終える日まで。そんな風に生きてゆきたいものです。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 素敵な日記を紹介します!歌姫kyoさんの日記←クリック!素晴らしい新刊本を紹介した日記を読んでくれると嬉しいです!『人生・経営に成功したい人に贈る一冊 』←クリック☆☆☆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇素晴らしい日記を訪問して、心に栄養をまるかじりしましょう!本日の超お勧め日記は、猫パンチ!!!さんの日記っ!!!!!☆ 此処をCLICK! 何かを見失った時、何かを探している時、何かに燃えたい時、よびりんさんのブログはあなたに大事なものを語りかけます。よびりんさんの楽天ブログは此処をCLICK!ベストセラーになった「リーダーの易経」の著者にして、 日本におけるサンジョルディの日生みの親である【亞】さん。【亞】さんの楽天ブログは此処をCLICK!★★★生きた言葉、かけがえのない言葉★★★をフリーページに掲載しています。太陽のように心に響いた言葉を、随時追加してゆきたいと思います♪