アタシヲ苦シメテイルモノ
アタシヲ苦シメテイルモノ
最近よく考えるんだけど、あたしを苦しめてるのは 『日本語』なんぢゃないのかなぁ?って。 親から「口から生まれてきた」って言われるほどおしゃべりなんだけど、しゃべれるがゆえにすごい色々なことがあってさぁ。 そのてんアメリカとかだったら(ある程度は分かるけど)言葉ってわからないいぢゃん? まぁ、アメリカでは同じ年代の人とかと関わってないからすごくのびのびとしていられる。
(8月19日の日記より)
あたしは今やっぱり、想像してた通りすごいストレスまみれでさぁ。 学校に行くってコトがストレスになっちゃってたり。
まぁ、学校の話は今度にするとして。 今日は『国』について。
国が違えば人が違うってのは当たり前なんだけど、 それをあんまし感じないのがニューヨークなんだよね。 ニューヨークは色んな国の人がいてそれが当たり前で。 日本も外国の人増えてるけど、それでも、ぱっとみで抵抗感じたりする人いるぢゃん?? なんかねぇ、それが時々あたしを不安にさせる。 ずっと前にどっかで書いたかもしれないんだけどさ、 日本人の、あたしくらいの歳の女の子って特に 『自分達と違う物は徹底排除』 みたいなとこあるぢゃん? それが何でなのかは分からないんだけど(瑠菜にはそーゆー女の子の心理が分からない)現実にはあるぢゃん? 同じ日本人でも区別はされちゃうわけよ。 色んな差別とか偏見とかってさ、自分もされるってことあるぢゃん。 日本は色んなところであるから、この国にいるってコトがすごくこわい。 たまに、空気にまで排除されてるような錯角に陥ることもあるんだ。
それが、ニューヨークにいるとまったくそんなこと思いもしないんだな。 劣等感(?)とかも感じないの。 日本にいたら嫌でも他のコと比べちゃうし、比べられちゃうし。 『あたしはあたし。他人は他人』 そう考えれるのはニューヨークでだけ。。 だから、向こうにいる間は自分が自分でいられる感じなの。
色々な人がいるからなのかな? 外国人だからとかってないの。 全てが全てを受け入れてくれるみたいな。
外国人とか、観光客だとかそんなこと関係ないんだよね。。 大切なのは『今、ココにいる』ってコトなんだ。
何にも縛られなくて、ホントの自分に近付ける場所。 今まではここまで自分のコト考えるってコトがなかったから分からなかったけど、 ニューヨークの40日はあたしにとって絶対に必要な物なんだ。 きっと、この期間がなかったらとうの昔にあたしは狂ってるよ(笑)
ってかさ、自分の居場所って中々自分ぢゃ簡単に分からないぢゃん?
あたしは、やっとあたしが存在できる場所を見つけたんだ。
だからニューヨークに憧れるし、将来はあっちに行きたい。
言葉についてはこの次の機会にでも。
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