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旧はぽん通信

2010年08月12日
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カテゴリ:其の他 想うところ

今から十年以上も前の話。
その頃20代半ばのノーテンキだった私は、毎年落ちまくっていた「日本語教育能力検定試験」なるものに、
やっとこさ3年目で合格、次の道を物色中であった。

私の日本語がいくら上等ではないにしても、これは誤解があってはならぬので説明しますが、
私の日本語の能力レベルをはかる試験ではなく、外国人に日本語を教える「教育能力」の試験。

つまり日本語教師の資格試験。

これが後にメキシコへ派遣され、現地の小学生に日本語を教える先生として2年以上働くことにつながっていくのだが、
この試験に合格直後の私は、そんなことも知る由がなかった。



まず、お世話になっていた実家を出ようと思いたつ。
幸いOLとして働いていたので、贅沢をしなければ自分のお金でなんとかなる。
そこで思いついたのが、「外国人ハウス」と呼ばれる国籍もごちゃまぜの人々との共同生活。
親が心配することにめっぽう弱いので、一応「女子寮」のようなものを選ぶ。

日本で日本語を勉強する人たちは、アジア圏出身が多い。
ここでたくさんの中国や韓国などから来た女性たちに、まずはボランティアで日本語を教える機会が持てれば。。と思っていた。


胸おどる春、この外国人ハウスのある都内へ引っ越し。


玄関はひとつで、そこに暮らす30人以上の女たちのヒールやスニーカーが所せましと並んでいる。

玄関からはすぐ台所。「ただいまー」と帰れば、必ず誰かしらがそこにいて「お帰りー」と言ってくれるのが嬉しい。
ただキッチンという洒落たものでなく、大きなお勝手である。(今でもお勝手って言うの?死語?)
冷蔵庫、台所用品はすべて共同。その奥に共同のシャワー室。

2階、3階が我々の個室となるが、個室と言ってもステキに優雅とはまったくかけ離れたもの。
布団を一枚敷いたら身動きもできなくなる。しかも3階の私の部屋は、ほとんど屋根裏部屋と言ってもよいような
天井さえ斜めのちっちゃいものであった。
それでも初めて持った私の城。


こういった環境を「とてもじゃないけど住めない。」と思うか、「笑っちゃうよねー。楽しい!」と思うか。


たぶん、ここに住まう人たちは後者なのだろう。すぐにお互い仲良くなる。
ガスも電気も水もあるし、風雨をしのぐ屋根はあるし、じゅうぶんでしょ。

何より、日本国籍でないアジアン女性たちのパワーは然りだったけど、ここで出会ったまったく変な
日本人女性たちのパワーはそれ以上であった。
当時、その寮は「タカラ」と呼ばれていたので、うちらは自分たちのことを無邪気に「タカラジェンヌ」と名乗っていた。
当然でしょ。


一番みんなが集まりやすい台所は、いつも何か珍事件が起きていた。

誰かが大きな鍋でゴトゴト煮立てているので、蓋を開けると、もうもうと白い蒸気の向こうには真っ黒いニワトリが丸ごと!
中国の女が作っていた鳥骨鶏(うこっけい)。

週末の昼間、台所で掃除当番のまた別の中国の女が、モップをかけながら誰かと中国語で大声でケンカしていた。
中国語はまったくわからないが、この有無を言わせないケンカの堂々たる物腰は、
中国人の血そのものなんだろうな、と感心してた。顔はウサギのようにカワイイのに。

韓国の女が、顔に白いパックしながら台所を横切る。ぎょっとする。だけど韓国女性は本当に美人が多い。

今までに見たこともない、大きなゴキブリが壁を横切る。みんなで「うぎゃあ、おぎゃあ」と騒ぐ。
誰かが共同スリッパを思いきり投げつける。見事命中したので、なぜか全員で大笑いだった。



メキシコ派遣が決まるまで、結局半年しか住めなかったけど、私の20代のうちでも本当に楽しかった時代のひとつ、ここにあり。
この中でも、特に夜な夜な晩御飯をともにした日本の女たち(イタリアの女ひとり含む)とは、
今でも連絡を取り合うほど仲がよい。
現在各々家庭を持つものあり、日本以外にいるものあり、あの頃の我ら8人全員が、
あの狭くとも生活のエネルギーに満ちあふれた城からは卒業している。


                 ukulele タカラジェンヌ・ウクレレ・トリオ 即興演奏会 in タカラのお勝手



        






最終更新日  2010年08月12日 08時38分42秒


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