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私は反抗期だった。
自覚が無いままに、そうあり続けてしまったらしい。 つまり反抗的な「性格」になっていたのだと思う。 しかし、一方で、強きには逆らえないということや、賢さや人望で決して敵わない人間がいるということを高校で学び、それらに恭順であろうとして卑屈になってしまっていた。 そういった敵わないものの存在を知るのも、もっと早いのが普通だろうし、知ったところで抵抗はせずに率直に身の程を知るのが普通なのであろう。 少なくとも、波風を立てずにうまくやっている方々は意識してかしないでか知らないが、そうした敵わない物事の存在に悔しさを感じたり劣等感を感じたりすることが私よりも少ないのだろうと思う。 皆のような器用な対応ができていたなら、「まず喧嘩という選択肢を取り、喧嘩できない(力が勝る)相手に対しては自分が間違っているのだと諦める(が、内心では不服に思い続ける)」などという生き方にはならなかっただろうと思う。 でも、自分はそれ以外の方法を知らなかった。 間違っているとも思わなかった。 全ての人に勝つのが目標だったから。 それが出来ないのが悔しくて仕方が無かった。 話が通じない相手や、自分を馬鹿にする相手、自分に勝る相手がいるとひたすらに自分を責めた。 辛かった。 だから外界との接触を極力避けた時期があった。 自分がつまらない存在であるのが悔しくて、恥ずかしくて仕方が無かった。 どうしたら良いのかが分からなかった。 当然、疑ったことなど無いのでそれが小説に反映されてくる。 全ての人に勝つなどということを考えるのが愚かなのだと人は言っていたから、自分からは攻めることをしないが、気に入らない意見にはささやかに抵抗し続けた。 少しでも侵されたと思ったら、守る為に戦うのは義務だと思っていた。 喧嘩はしたくないと考える人は卑怯だと思っていた。 けれどもその小説を読んで友だちが言った。 「彼(主人公)は反抗期だね。人を教える立場になったから、少し成長したんだろうか」 まさに目から鱗だった。 反抗期などというものは心理学者が勝手に作った概念で、私はそれを経験しなかったと思ってきたから。 彼(主人公)の考え方を書くときは、私が共感できるように書いている。 いわば、原作に私というフィルターがかかっている。 反発する人もいるだろうと思うので気をつけているが、結局はかなり我流で解釈し、表現してしまっているだろうとも思う。 だから、彼の言動の一部は、私がこうあるべきだと思っている言動であって、それを見て反抗期だと言うならば私も反抗期だということになる。 衝撃的ではあったが、反発は感じなかった。 なぜか、その友達が言うことは、どんな偉い人の言うことよりもすんなりと耳に入ってくるのだ。 初めて安心した。 そして、私はその友だちにしているように(恐らく、悔しさを感じるようになる前の自分がしていたように)出来るだけ素直に、白紙の心で他人と向き合うように心がけるようにした。 自慢話に感じられ、私を苛立たせる話が耳に入っても、「腹の立つことを言っている。でも、言いたいのだから勝手に言わせておけばよい。人の口に戸は立てられない。私には彼らが喋るのを止める筋合いは無い」と自分に言い聞かせた。 前はそのような話が耳に入れば、耐えられずその場を立ち去り逃げていただろうが、あまり意識せずに我慢してその場にいることができた。 これには自分自身が驚いた。 そしてそれまで自分を苛立たせていた話は、実につまらない話だったのだと思った。 逃げ出すほどのことではなかった。 喧嘩をまず初めに選択する自分には、反論の機会が無い状態で、または力不足で反論が出来ない状態で、延々と気に入らない話を聞かされるなどということは耐えられなかったのだと今になってみれば思う。 ネットでもそれらの気に入らない話を見ない、見てしまえば拒むという選択肢を取ってきたのだが、これからは「拒む」のはやめたいと思う。 毛嫌いをしながらも読んだり聞いたりできるようになりたい。 そしてそもそも毛嫌いをすることが無くなっていけば、自分の心も楽になるだろうと思うが、それはまだ遠い話だ。 ある人のことを自己主張が激しい、私を馬鹿にした、と随分攻撃してしまったが、私とてそのある人と若干表し方が違っていただけで、基本は同じだったような気がする。 目上のものや力のあるもの、勝てないものを拒み続けてきた。 その愚かさにも気づかずに。 私は学び取るということが無かったのだろうと思う。 守ることに必死だったのだ。 本当は友好的だったのかもしれないのに、相手を信じられなかった。 勝手にカテゴリー分けをして、何でも自慢話だと疎んじていた。 人が理解してくれないことに怒りを感じてはそれを書き綴ってきた。 私のようなものは存在するだけで惨めなのにさらに惨めにするようなことをさせないで欲しいと思っていた。 だけど、反抗期だったんだ。私も彼も。 これからも、反抗し続ける。権力にも、強い相手にも。 でもただ反抗するだけじゃなく、やり方は考える。 相手すら見失って見境無く叩けるものは叩いて来た。自分を守る為に。 敵わない相手は叩けないから弱い者を叩いた。 その醜さにも気付かなかった。 これからは反抗し、抵抗する対象をきちんと選別したいと思う。 そうしたほうが自分が楽だから、だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 27, 2008 04:39:24 AM
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