Два облака

2014/09/06(土)11:19

惰性の食

とにかく毎日飯を食う度腹痛になって下す。 たいして消化もせずに出て行ってしまう。 黒胆汁(メランコリー)というものは、 いつもお腹の上部か、下の方で 魚みたいにコールタールが泳いでいる感じで、 そういったものは、 人間の中心である腰部分に属するのが分かる。 自分の中心だから、そこから広がって 頭も重くなるし、気持も悪くなる、 心だけ泣きたくもなるけど、それ以上に 伝えてはいけないイライラが憎しみになる。 腰は月と要という字でできている。 要は人間の中心を表した象形で、 月は切った肉の象形である。 然という字の左上のななめの月などと同じ。 だから身体にまつわる語はとなりに月がある。 ソーマという語はギリシャ語では身体 (ソーマのマは中性名詞の語尾のようなもので 語幹はソーだけかもしれないが、 それとも-maという語尾が全て-mata型変化に 併合されたということもあるのだろうか。) サンスクリットでは神酒 同じく神酒を意味するハオマの類語かもしれないが。 だけどどの言語でもないけれどソーマという響きには 個人的には月というイメージが前からある。 肉の絵が月という語になったのは象徴的である。 確かに肉という漢字を素早く書いたら月になるか。 黒胆汁(メランコリー)の胆という漢字の旦の部分は 機種依存文字なのででないが、 もともとは言+あなかんむりがんだれみたいなの+ク というかなりややこしい字で、 言が口と上の線が刃物を意味し その上のあなかんむりが音響の広がりを意味し、 その上のクは屋根を意味する。 黒い(メラン)、言葉の剃刀がひとつ屋根の下、広がっていく(コリー)。 むしろそれを鞘に納めようとして いつも代わりに自分の肉だけ 鬱くしく傷つけるはめになるのだろう。 だけど黒胆汁(メランコリー)は刃という割には どんよりしてねばっとした黒色の世界である。 せめて、血と肉と脂で切れなくなった古い刀のような。 けれども結局、鬱なんてものが鋭いものである感じはしない。 腹痛も鋭さにやられている感じはしない。 むしろゼリー状の黒い深淵の圧迫なのだから。

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