世界最高のバイラオール
数ヶ月前からずっと楽しみにしていた舞台がある。でもチケットが高くて行こうかどうかかなり迷っていた。特に今月から来月はどうしても見たい舞台が目白押しで、正直苦しい状況であったが、世界最高レベルの舞台ってそうそう見られるもんじゃない。それにどんな分野のものであれ、この世界でトップレベルのものを見ておくことは必ず自分自身の生き方にとってプラスになることは体験からわかっている。ましてや、今回見逃せば一体いつ見られるのかもわからない一回限りの札幌公演だ。結局4階席の左ウイングの一番前で見ることにしたのだった。 それは本国スペインでも最優秀舞台芸術賞を受賞した世界最高峰のバイラオール=フラメンコ男性舞踏手、ラファエル・アマルゴの札幌公演である。 3時の開演に向け、早めに厚生年金会館に行ったが、開演直前になっても客の入りはよくない。結局全座席から見ると50%くらいの入りだったろうか? 私は不思議でならないのだが、自分の友人や知り合いが出演する地元のダンス教室などの合同イベントは同じ厚生年金会館が入りきれないほど人が来るのに、それより遙かに素晴らしい芸術を見せてくれる世界でも第一級のステージには何故足を運ばないのだろう? それだけ文化意識レベルが低いということなのだろうが、何とも寂しい。それに観客はほとんどが女性である。世界最高のものを見ることは決して上流階級の特権ではないし、奥様方の暇つぶしの為のものでもない。北海道の男性は舞台芸術に興味がなさ過ぎる。それが何とも悔しく残念でならない。 午後3時、幕は上がった。ダンサーは総勢10人、トケ(ギター)が2人にバイオリンが一人、カホンというスピーカーのような箱形の上に座って叩く打楽器、そして、カンテ(生歌)が3人。薄暗い証明の中でフラメンコ独特の切ないメロディーが次第に観客をのめり込ませていく。アマルゴもその中に入り、一際光るセクシーさで視線を惹き付ける。 そしてダンサー達が去り、着替えてきたアマルゴが黒いシャツにシルバーのジャケットとパンツでステージ中央に一人立つ。ギターが唸りを上げ、カンテの圧倒的な声量と響きがこの空間全てを貫く。そしてアマルゴのまるで別次元のような体の動きがヒートアップしていく。その激しさはどんなロックミュージックも色を失うほどで、凄いというより凄まじいと言った方がふさわしいカンテの情熱の叫びが、否が応にも見るものを血を沸き立たせる。こんなエネルギーは滅多に体験出来るものではない。 アマルゴの踊りは時に舞台をアイススケートで滑るように舞うかと思えば、一転して大地を貫くように嵐のようなタップを叩きつける。その足が刻むリズムはマシンガンよりも早く、それでいて驚くことに一撃一撃が対戦車ライフルの如く鋭く重く激しい。私の血は沸騰するように興奮しているが、凄まじいアマルゴの踊りは逆に全身にザーッと走る寒気を与え、鳥肌を立たせる。 素晴らしい。これこそが求めていた本物のフラメンコ。世界最高の呼び名に相応しい。 古典的なフラメンコにこだわらず、舞台では様々な新しい挑戦が繰り広げられ、アマルゴ以外のダンサー達も人間離れした切れ味の踊りを見せてくれた。アマルゴ自身は後半疲れたのかかなり気の抜けた踊りになってしまったが、その分脇役達がそれを補って余りある迫力がある。 特にカンテの女性は3人とも迫力ある体型でお相撲さんタイプなのだが、その彼女が太股も露わに激しく踊って極めのポーズを取ると、ワーッと言う歓声と拍手が巻き起こる。普通、こういう体型の人がここまで派手に踊れば、笑いが漏れるか引かれてしまうだろうが、フラメンコは魂の踊りである。そこには年齢も体型も関係ない。本当に彼女達はカッコいいのだ。 また、体型ということで言うと、女性のダンサー達はみな腕も細くウエストも締まっているのだが、パンツの衣裳になると、その太股のたくましさに驚かされる。大腿部は恐らく私より太いだろう。その筋力があってこそ、この地面に叩き込むかのような圧倒的迫力のタップが踊れるのだと思う。 1時間半ほどのステージが終わり、幕が落ちて客も帰り始めたが、残っていた客の中から拍手が止まず、しばらく続いていた。そしてその期待に応え、幕が上がって明らかに用意されていたものではない、即興の歌と踊りが始まった。出演者もスタッフも思いきり楽しんで歌い踊っている。しばらく代わる代わるに前に出て踊った後幕が下りたが、その途中でアマルゴが上半身裸になり、踊り始めた。当然観客は大声援を送り、しばらく幕が降りたままその向こうで出演者達の盛り上がった声が聞こえてきたが、ついにもう一度幕が上がった。最後の最後までラテンの明るさで盛り上げながら夢のステージは終わった。 一つ残念だったことは演目が今まさに舞台上で繰り広げられているのに、下の階でメールを打っているバカがいたことである。その女性はさらにその返事を確認してまたさらに打っていたようである。本人は「音鳴らしてないから」とでも思っているのだろうが、会場内は舞台の演出効果のため非常口のあかりも消されているのだ。そのなかで携帯の液晶と操作ボタンのライトは異常なほど目立つし、周りを照らしてしまう。傍にいるとはっきり言って舞台の雰囲気ぶち壊しなのだ。上から見てても非常に目障りで、携帯電話を狙撃してやりたいくらい腹が立った。どうしてこうも自分のことしか考えられないのだろう? ほんの10年前まで誰も携帯なんて持ってなかったのだ。それが無くて死ぬほど困ることなど無いし、もし人の命に関わるような問題を抱えて連絡を待っているのなら、そんなときにこのような会場に来るべきではない。こういう行為が失礼だと思えない人間はマナーどうこう言う前に人として欠陥品である。