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カテゴリ:徒然ツレヅレ
今日は、下の子供の入学式である。
が、私は働いている。 行きたい気持ちもあったのだが、上の子の時に行っていない(先にフランスへ赴任していた)ので差をつけるわけにも行くまい。 まあ、子供は私がいようといまいと、卒園式に続いて着飾れるのでご機嫌である。 私が子供の頃も、入学式というのは当然あって、その写真も残っているのだが、あまり記憶がない。緊張していたのか、それとも何の違和感もなかったのか。 学校生活の記憶のほうが濃い。 今では、小学校から付き合っている友達は一人になってしまったが(当時は、天狗のように唯我独尊状態だったので友達がいなかった)別にそれはそれで良い。 友達というのは自然淘汰されていくものだし、先方もこちらと連絡を取りたければ連絡をしてくるであろう。 が、「連絡が欲しければ自分から連絡する」というのも基本であるので、多分私のほうが冷めた目線になってしまっているのだろう。 入学といえば、お受験が関係あるな。 我が家はお受験不要派である。 が、いわれのない勘繰りを受けることがある。 奥様方の話によると、小学校や幼稚園のお受験には「カルタとり」があるところが多いらしい。 (あくまで私の身の回りの人の話、真偽の程は保証しません) 我が家では、一時カルタがブームで毎日のように複数回やっていた時期があった。 そんな折、地元の図書館で「チビッコカルタ取り大会」が催され、我が子は最年少入賞者となった。 表彰式の後、家内は周囲の奥様から質問攻めだったそうである。 どこの塾へ行っているのか、どこを受験するのか、などなど。 で、どこの塾へも行っていないし、受験もしない、という答えを返すと、「何で隠すの!」と怒られたそうである。 いやはや、納得のいかない話である。 教育というものを、「誰かがやってくれる」と思っているからそうなるのだ。 「うちの子は成績が悪くて」とか「家庭教師をつけているのにやる気がなくて」などと言っている親は既に教育を語る資格はない。 成績が悪ければ、親が面倒を見れば良いのだ。判らなければ子供と一緒に考えれば良いのだ。 塾に放り込んだり、家庭教師をつけることで満足してしまっているようでは、未来はない。 「そこで何を学ぶか」は本人次第だし、子供のモチベーションを上げられるのは親が一番なのである。そこをサボっておいて、我が子の成績の悪さを他人のせいにしようとする人が多い。 先生方も、良い迷惑である。 「自分が上手くいかない原因を他人のせいにする(他人に文句を言うのとは異なる)」 私が最も忌み嫌う行為である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.10 12:31:41
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