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カテゴリ:徒然ツレヅレ
今週は学会の関係で外出続きである。自宅から2時間程度かかるところでやっているのだが、宿泊するほど遠くも無いので、仕方なく通っている。
しかし、ラッシュに2時間立ち続けるのはさすがに辛いものがある。 さてさて、そんな環境で、ふとオシャレについて考えてみた。 オシャレというのは、基本的に二つに分かれるのではなかろうか? 1.素材に恵まれた人が、より美しく(カッコよく)なるためのもの 2.素材に恵まれなかった人が、それをごまかすためのもの 色々と反論もあろうが、私が感じた事を素直に書くだけなので、「こいつ、分かっちゃいねーな」と思われるでしょうが。 結局、素材に恵まれた人は何をやってもサマになる。 オシャレだって1.だろうが2.だろうが選び放題である。 例えばモデルさんは何を着てもカッコイイし、似合う。 しかし、素材に恵まれなかった人が1.を行った場合は悲劇が訪れる。 本人は全く気づいていないだろうが、周囲からは同情のまなざしが注がれる。 一昔前、ルーズソックスというものが流行った。 あれは2.に属すると考えている。 足が太かったり、足首がなかったりする人が、それを隠すために履いていたに違いない。 その証拠に、その次にはハイソックスが流行ったではないか! あれは、素材に恵まれた人が、そうでない人と同列に評価されるのを不快に感じて、「差の出やすい」格好を選んだからである。 男性のスーツも2.に相当する。 「着なくてはいけない」場合が多いが、あれはかなりなレベルまで体形などの容姿の欠点を覆ってくれる(例外はあるが)。 アルマーニは「魔法の型紙」と言われる。 つまり「どんな人でもカッコよく見える」という意味を含んでいる。 私のようなブサイクにはありがたい商品である(が、高いので手が出ない)。 家内が見ている通販のカタログなども、モデルさんが着ていると非常にカッコよい。 しかし、服だけを見ていると、さほどでもない。 自分の素材を見極める事も、非常に重要なのだ。 フルーツを炒める人はいないし、肉類は(一部を除いて)火を通さないと食べられないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.25 18:20:34
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