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出演:アル・パチーノ,クリス・オドネル,?その他 監督:マーティン・ブレスト 内容紹介 全寮制名門高校の生徒チャーリーが、休暇中のアルバイトで全盲の元陸軍中佐フランクの世話をすることに。しかし、頑固なフランクとの出会いは最悪なもの。フランクの言動に戸惑いながらも、心やさしいチャーリーは行動を共にすることになる。 生きる希望をなくした盲目の現役軍人が、若者とともにNYに旅立った真の目的とは?。アル・パチーノが見事アカデミー賞主演男優賞に輝いた感動のドラマ。 【感想】 イタリア映画「Profumo di donna (1974)」のリメイク。↓ といっても、内容、設定、脚本は大幅に書き換えられ、同じなのは主人公の男が盲目の元軍人で、若い男の介添えを得て、都会に女性を買いにいくという部分のみ。 「Profumo di donna (1974)」を見たのはずいぶん前なので、内容的に覚えているのは、盲人というハンデにも関わらず、自分を身体障害者として取り扱われ、慈悲を受けるのを拒否し、まっすぐな背中で歩く主人公の男の姿だ。女性に対しても何の躊躇もなく色目を使い、売春宿で相手を匂いで選ぶ姿が印象に残っている。実際、この映画はこの紳士が「家を出て、各地を女性を買って旅する」というプロットしかなかったような気がする。シンプルな話なだけに、主人公を演じるビットリオ・ガスマンの名演ぶりが印象的だった。 このイタリアの風土にぴったりと合った名作をハリウッドがどんな風に映画化するのか、いささか疑問だった。大戦後ー60年代のイタリアでは違和感なく受け入れられ、哀愁やユーモアさえ漂う、「街の女、売春宿」というものを、現代アメリカ、ニューヨークなど都会で見ると、いかにも即物的で不潔なものに見え、盲目の紳士が情を通わせる余地などないからだ。 ボブ・フォッシーの伝記にもあったが、彼がフェリニ監督のイタリア映画「カビリアの夜」を元に「スイート・チャリティ」というミュージカルを舞台化する際、原作の主人公の職業設定「娼婦」というものを、タイムズスクエアのキャバレー・ダンサーの設定に変えてしまったという。その理由は、「There is something ugly about a prostitute in this country. It's all right in Italy」だったという。つまり、今のアメリカにおいて、「コールガール」という存在は、ものすごく高給取りの「エスコートウーマン」であるか、底辺に群がるストリートガールズであり、どちらもストレートにビジネスベースで、職業的に同情をもって見られる存在ではないからだ。客と娼婦の間にあるのは札束だけで、イタリアやギリシャの名画にある陽気な娼婦たちのように、客との情的なかかわりなど想像するのも難しい。 ここで、「セント・オブ・ウーマン / 夢の香り(1992)」に戻ると、この監督もやはり、フォッシーと同様に、ニューヨークの都会の夜の女と、盲目の主人公との関わりは、あくまでミニマムに、想像させるだけで、具体的に描くのを避けている。男はリムジンのドライバーに評判のよい高級コールガールのアパートの前まで連れていってもらい、車を出て、建物の入り口に向かい、数時間後、そこから出てくる部分しか描写されていない。もし、カメラが建物内部に入り込み、この部分が具体的に描かれていたら、この映画はイリュージョンを失っていただろう。 どちらにしても、このハリウッドリメイクは、オリジナルを見たものには、まったく別の映画としか思えなかった。介添えのプレッピー青年との交流は良いとしても、エンディングの学校裁判、大団円の終わり方はまぎれようもなく、デッドポエットソサエティ型というか、もろにハリウッド映画の作り物的な白々しさ満点で、こういう終わり方しかできない業界的な制約も理解できるとしても、映画的には致命傷だと思う。 この映画が唯一オリジナルを彷彿させたとしたら、アル・パチーノのイタリア洒落男のマナー、女性へのアプローチの仕方が、白いボルサリーノをかぶったビットリオ・ガスマンに似ていたことくらいかもしれない。あたかもアル・パチーノが一人でイタリア名画から抜け出たように見え、周りのワスピッシュな親族や現代ニューヨークの風物のなかで、妙にリアリティがなかった。 NYPDのパトロールはあんな甘いもんでなく、ウォドルフアストリアのロビーは日本人観光客やビジネスマンが右往左往しているだろう。この映画はプレッピー学校からして、あまりにも白人だらけで、妙に現実離れしたサニタイズされたニューヨークを見ているような、ある意味、50-60年代の映画を見ているようだった。この辺、たぶん、ニューヨークに住んでいない聴衆には分からないかもしれない。 女性とのタンゴシーンも美しいのだが、嘘っぽい。おとぎ話だと言えば分からなくもないが、やっぱり、設定を50-60年代にしていたら、ずっとリアリティがあったと思う。あのタンゴに応じた女性は英国女優らしい。ニューヨークでは滅多に見ない美しい人だが、この映画のあと、どこに消えてしまったのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月17日 11時19分10秒
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