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青空のように

青空のように

真夜中のカウボーイ

映画化された小説として、僕がもっとも印象深いのは「真夜中のカウボーイ」(ジェームズ・レオ・ハーリヒー)。
映画タイトルは「真夜中のカーボーイ」。これは当時猛反発を受けた(当たり前だが)。カーボーイとはなんでしょう?
これは映画を先に観た。評判ほどでもないとは思ったが、まあそれなりに感動もした。しかし、そのあと読んだ原作は圧倒的に素晴らしく、この小説があの程度の映画になっちゃうのか・・・とショックを受けました。

映画は、ニューヨークに旅立つジョウ(ジョン・ヴォイト)から始まるが、これは原作では第2部。実は、なぜジョウが故郷を捨て、ニューヨークをめざすのかが語られる第1部が素晴らしいのでした。
これを書くために本を探したが見つかりませんでした。なので記憶で書きます。もし間違いがあったらごめんなさい。

ジョウは尻軽のお祖母ちゃんに育てられる。お祖母ちゃんはとっかえひっかえ男を家に連れてくる。ジョウはじゃま者である。そんな中で、唯一ジョウにやさしくしてくれたのが、流れ者のカウボーイ。ジョウは男のブーツやテンガロン・ハットにあこがれ、いつか自分もカウボーイになりたいと思う。

町に、誰にでも「やらせてくれる」少女がいる。この少女は、男に抱かれながら天井のシミがどんな動物に似ているか考えるのが唯一の楽しみなのである。
この少女とジョウが恋をする。この二人の恋物語は、哀切という他ないもので、疎外された(しかも2人とも、あまり頭はよくない)者どうしのお互いを求め合う心が的確かつ痛切に描かれる。

RCサクセションに「ぼくとあの娘」という曲があります。
僕はこの曲を聴くたび、この小説を思いだします。こういう詞です。

 あの娘はズベ公で ぼくはみなしごさ
 とっても似合いの ふたりじゃないか

 あの娘は悪者で ぼくはうそつきさ
 とっても似合いの ふたりじゃないか

 白い目で見られるのなんか もう慣れちまったよ
 だから本気で だから本気で
 暖めあっているんだぜ

 あの娘は泣き虫で ぼくは弱虫さ
 とっても似合いの ふたりじゃないか

 汚れた心しか あげられないと
 あの娘は泣いていた 綺麗じゃないか

            (詞・忌野清志郎)

ジョウに恋したために「やらせてくれなくなった」少女に腹を立てた男にチクられ、少女は精神病院に入れられることになる。
この、少女との別れは映画でも回想としてチラッと描かれるが、あれでは訳がわからない。
少女と引き離され、最愛の祖母も死ぬ。そしてジョウは、最後の心のよりどころである「カウボーイ」としてニューヨークへ旅立つのである。

第2部はほぼ原作どおりなのだが、最も心うたれるエピソードが抜けている。
ニューヨークへでてきたジョウは、心許せる友達が欲しくてたまらない。孤独を絵にかいた生活なのだ。
そんな時、街をうろついていたジョウは、酒場の奥にひとりの男を見つける。その男は、「どこへ行っても俺はひとりぼっちなんだ」と言っている。とてもさびしそうに見える。
ジョウは直感的に「あいつとなら友達になれる」と思い、酒場に入って行く。だが、店の奥にあったのは鏡であった・・・。

この小説は今でも手に入ります。たぶん。
ハヤカワ文庫です。映画に感動した皆さん、読んでみてください。



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