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青空のように

青空のように

遍路日記 その3

五百羅漢


3月26日(土)
小倉港・午後9時55分発のフェリーで出発。
アニキ、りゅう君夫妻に送ってもらう。
フェリーで見送ってもらうのって、なんだかちょっぴりせつない。
関門海峡を過ぎるまでずっと、デッキで遠ざかってゆく小倉の灯りを見ていた。
こういうシチュエーションでは当然、「スピーチ・バルーン」が浮かんでくるわけで・・・。


 細い影はひと文字 海の背中に伸びている
 君は春の客船 冬の港見てるだけ
 言いそびれて 白抜きの言葉が風に舞うよ
 音のないスクリーンだけを 眺めてるように

 吐息ひとつ スピーチバルーン
 声にならない飛行船
 君は耳に手をあて 身をよじるけど
 なにも届かない

 
 投げたテープ絡まり 気まずさだけ伝わって
 動きだしたデッキは 君の人生運び去る
 言いそびれて 白抜きの言葉が波に浮かぶ
 想い出のブラスバンドが 耳元を過ぎる

 暗い海に向かって ヘッドライトのパッシング
 君は泣いているのか もう遠すぎて
 なにも映らない 

     
フェリーの中は、土曜日のせいか人でごったがえしている。
多くの人が早めに乗り込み、すでにレストランは宴会場と化している。
僕はただ寝られればかまわんので、一番安いザコ寝のところでよかったのだが、このフェリー、料金がめちゃめちゃ安いので、寝台席をとった。それでも5600円(!)でした。

ただし、エンジン音がうるさくて、ほとんど寝られず。
早速、MP3プレイヤー大活躍です。
理由はわからんが、ギーギー揺れながら聴いていて、一番ピッタリだったのはベンチャーズでした。

翌朝5時、松山観光港に到着。
リムジンバスでJR松山駅へ。
松山からJRで、光洋台という駅へ(前回53番「円明寺」を終え、ここまで歩いてから松山に帰った)。
時刻は午前6時30分。
こうして3回目のお遍路が始まりました。

初日なので足慣らしでノンビリ歩くつもりだったのだが、足はすこぶる快調で「こりゃ、秋とはちがうぜえ」と、ぐんぐん進んでいくのでした。
歩き始めてしばらくすると、はじめて瀬戸内海と出会う。
曇り空で遠くが霞んでいるのが残念だが、船の行き来は活発で、岸から釣りをしている人も多い。
内海の穏やかな景色は、僕の両親の故郷・天草を思わせる。

瀬戸内海

歩き遍路のシーズンに入ったのか、逆打ち(88番・大窪寺から逆に回ること)のお遍路さんに何人も会う。
昼過ぎから、雨が降り始める。
この日は今治市の54番・延命寺を打ち(昔、納め札は木でできていて、巡礼者はその納め札を寺に打ち付けていた。なので、お遍路で巡拝することを、打つ、といいます)、できれば55番まで打ちたいと思っていた。
3時頃から、ジワジワと右足が痛くなる。
でもまあ、これくらいはダイジョブダイジョブと思っていたのだが、コンビニでおにぎりを買い、外で座り込んで食べ終わり、さて出発じゃわいと立とうとしたらアラ不思議、右足の付け根に激痛が走り、立てない。いやもう、ちょっと今までにないような痛みで、僕は中腰のまま、まるで机のカドに足の小指をぶつけた時のように動きを止めて、痛みが去るのを待っていました。
ところが、痛みがとれないのよ、これが。
しかし、ポンチョ姿に菅笠かぶり、コンビニの横で中腰のままいるわけにもいかず、足ひきずって歩きだしたのですが、一歩ごとに脳天にビリビリ響き、本降りになった雨のなか、這うようにして「延命寺」に到着。
階段の一歩一歩が、かけねなしに辛い。
寺は団体のお遍路さんでいっぱい。

もう、欲も得もなし。必死の思いで今治駅前のビジネスホテルへ。
とにもかくにも風呂に入り、持ってきたシップ貼りまくり。
しばらく横になっていようと思ってベッドに乗ったのだが、夕食にでようと思ったら、まったく動けない。こ、これはどうしたことじゃ。
ヤバイ。病院・リタイアなどという言葉が頭に浮かぶ。
ベッドから降りれないので、りゅう君から餞別としてもらった、甘栗むいちゃいました、とチョコレートをリュックからひっぱりだしてきて食べる。これが今夜の晩飯だあ。
情けないが、立てないんだからしょうがない。
「サザエさん」を観てたら眠くなったので、とりあえずしばらく寝ようと思い、テレビを消して寝る。
眼がさめたら、翌朝6時半であった。12時間も爆睡してしまった。わはははは。笑ってる場合ではない。はたして足は動くのか!・・・続く。

へんろ石1
延命寺に向かう途中にあった道しるべ、「へんろ石」。
右が古いもの、左が「平成へんろ石」。
愛媛と香川には、古い「へんろ石」がたくさんあった。







               







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