カテゴリ:エネルギー
持続可能とは石油、石炭、天然ガス等の化石燃料を使わない、
ということのようで、それはそうだと思います、 何時かは枯渇する訳ですから。 しかもCO2は地球温暖化と関係ないとしても、 化石燃料を使い続けて、 CO2を増やし続けることは危険です、 窒息死するかもしれない。。 じゃ、化石燃料なしだと、どのようなライフスタイルになるのか? 興味があるところでしょう。 江戸時代、特に文化文政時代は人類史上稀に見る 持続可能で高度な文明社会を実現していましたので、 参考にはなります。 そこまで逝かなくても、 現代的なテクノロジーの応用でもう少しは快適便利な暮らしをしたいよう、、 と思われるのは無理からぬところです。 では、具体的にはどうなのか? 東京財団のサイトに資料がありましたので、 パソコンをお持ちの方にはリンクを貼っておきます。 http://www.tkfd.or.jp/admin/files/Visualization_Sustainable_Society.pdf この図は化石燃料がなくても、他のエネルギーを活用すれば、 なんとか1960年代の初め頃の一人当たりのエネルギー消費量くらいは使えるのではないか。。 ということらしいです、だいたい今の1/3。 1次エネルギー(石油等)の消費量は現在の1/10でしたから、そんなものでしょう。 豊かではないけど、良い時代だったとよく言われる、昭和30年代ということです。 この時代のことをご存知の方は最低でも50歳以上ということになりますが、 我が家のことを思い出してみると、 真空管ラジオはすでに僕が生まれる前からありました。 白熱灯が蛍光灯になったのは昭和35年(1960年)、 ずいぶん白くて明るいと子供心に感じました。 我が家にテレビが来たのは昭和36年のこと、 番組が少なく、テストパターンばかりでした。 放送は1日2~3時間くらいではなかったでしょうか? ゴム製のローラー搾りが付いた洗濯機は昭和38年、 なんかしょうもない、、と思いました。 オリンピックは昭和39年、 新幹線が同時開通。 ここまでが昭和30年代。 電気冷蔵庫は昭和40年にならないと我が家にはありませんでした。 それまでは冷蔵庫といえば、氷を入れる木の箱でしたが、 おばあちゃんの家にあったのを思い出します。 (固定)電話は昭和44年までありませんでした、 急用があるときは電報でした。。 クーラー(エアコンではない)は昭和50年にならないとありませんでした。 車は昭和56年です。 こんな感じですが、 当時は特に不便とか感じたことはありませんでした。 なければないで、そんなもんだ。。で終わりです。 このシミュレーションでは原発はそのまま使うということになっていますが、 核燃料もいずれ枯渇しますので、原発だけはいつまでも稼働できるということはありません。 電力会社からお金をもらっているのでしょうか? なんかヘンです。 「全世界直流送電ネットワーク計画」を発動すれば原発がなくても電力は今まで通り供給可能です。 でも、2/3削減ともなると単にエネルギー消費効率を上げるとか、 従来のシステムのまま節約するというだけでは実現不可能でしょう。 すっぱり諦める、ということも必要になります。 1人当たりのエネルギー消費量が今の1/3くらいなら、 冷蔵庫はなんとか持てるでしょう、 もしかしたらクーラーもなんとか持てるかもしれませんが、 暖房はエアコンでというのは無理でしょう。 車は各家庭に1台とか、田舎では家族一人に1台とかは無理、 バスや宅配便の軽トラ、タクシー、トラックなどの業務用に限定されるでしょう。 原発の深夜電力を使って電動車両を動かすとしてもせいぜい500万台、 全車両は日本に8000万台はあるので、がんばっても今の1/10以下の数になります。 車はないので、移動はなるべくしないでテレビ電話ですませる、 今でもSkypeなどのネット通信では全世界でテレビ会議も簡単にできます。 近場のお出かけは、歩きかチャリ、遠くへは飛行機はだめで鉄道だけ。 遊びはサイバー空間で、うちではもう実現しています(^^ゞ この図は民生つまり家庭やオフィスの消費エネルギーの内訳の図ですが、 意外に冷房は少ない、7%くらいです。 多いのが給湯と暖房、半分以上、2/3近いのです。 給湯は太陽熱を利用するに限ります。 うちでも風呂はこれです。 真空管式というか魔法瓶式ですので、保温性は完璧、朝まで冷えません。 暖房は薪ストーブです、 維持管理が面倒ですが、暖かい。 これらを導入すれば消費エネルギーを1/3にするのはわけありませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/08/21 12:16:36 AM
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