KINTYRE’S DIARY~旧館

2008/04/13(日)21:26

阪神・金本2000本安打達成!

野球/セ・リーグ(64)

金本、名球会入り達成! 阪神の金本知憲外野手は、横浜スタジアムで行われた横浜との七回に寺原から右前打を放ち、史上37人目の通算2000安打を達成した。 1999本目の安打を2カード前の巨人戦で放ち、地元甲子園球場に乗り込んだが「あと1本」が出ず難産の末の達成だ。何しろこの1本に19打席を要したのだから、金本は口では「通過点」と無関心を装っていたが重圧はあったのだろう。 2000本安打は昨年9月に広島の前田が達成して以来で、阪神では山内一弘、藤田平に続く3人目。金本は広島時代、1993年8月8日のヤクルト戦で山田から初安打。プロ17年目の記録達成となった。 金本は広島・広陵高校から東北福祉大を経て1992年にドラフト4位で地元広島に入団し、2003年にFA権を行使して阪神に移籍。試合に出場し続ける姿から「鉄人」と呼ばれ、2006年には連続フルイニング出場の世界記録を更新した。 金本はドラフト4位で入団したことでも分かるように、「即戦力」として期待された選手ではなかった。 入団当初は2軍生活が続き、それでも広島名物の「猛練習」を重ねることで徐々に1軍への道が拓けてレギュラーとして定着したのは3年目から4年目にかけての頃だった。 その広島からは北別府投手、前田外野手、野村内野手に続いて同時期にチームに在籍した4選手が名球会入りとは凄いことだ。それだけ広島が選手を育てることにかけては情熱があり、選手がそれに応えるだけの「体力」があったからだろう。 阪神に移籍した初年は3番を打っていたが、40歳になったいまでもチームを牽引する「4番打者」としてフル出場を続けるとは恐れ入った。 この背景には広島時代の猛練習もそうだが、阪神に来てからも継続して自らの能力を高める練習をしているからだと思う。その点では、若い頃から不摂生をして六本木で芸能人や若手選手を引き連れて豪遊していた清原とは大違いだ。 星野SDのコメントにもあるように年齢は40歳でも、怪我に強い体はまだまだ現役生活が続くことを証明しているかのようだ。 まだまだ阪神ファンの為に、明日も出場して4番打者として打ち続けることだろう。 ◆金本知憲阪神外野手 「うれしいより、ほっとしたのが率直な気持ち。両親や携わった方々、神様や先祖に感謝したい。これまで達成したメンバーを見ると偉大な先輩ばかり。名球会でハワイに行ってお酒をついで回った時に、実感がわく」 ◆阪神・星野仙一シニアディレクター(北京五輪代表監督) 「目標を持って体を鍛え、一生懸命に頑張ればこうなれるというお手本の選手。精神力の強さや人間性の素晴らしさがあるから、周りからアニキと慕われる。わたしの阪神監督時はよく働き、よく学び、よく遊びとあらゆる面でタイガースを再建した一人。金本イズムは今のチームにも脈づいている。年は40でも体はまだ30くらい。次は3000本やな」 ◆阪神・岡田彰布監督 「やっと出て良かった。これだけ安打が出なかったから、もう出るころだと思っていた。金本に関しては調子の良い悪いは関係ない。打線ではチーム一番の中心打者だ」 ◆阪神・新井貴浩内野手(今季から阪神、広島時代からの「弟分」) 「金本さん2000安打は自分のことのようにうれしい。(自分も1000安打を記録し)記憶に残る1日になった。きょうで安打が1001本になったから、次は1002本目を目指して頑張る」 ◆阪神・宮崎恒彰オーナー 「肉体、技量、精神に鍛錬を重ね、傷を負っていても自身にハンディを与えない真のプロ魂に魅了されるのは、私だけじゃない。タイガースの4番打者として記録を達成したことは、われわれの最大の誇り」 ◆中日・和田一浩外野手 「おめでとうございます。(金本と同じ東北福祉大で)学生時代からお世話になった先輩なので、本当に良かった」 ◆ソフトバンク・王貞治監督 「元気そうだから、まだまだいけそうだね。われわれの世界は、これでいい、というのはない。次は2001本目を目指して頑張ってほしい」 ←「金本2000本安打達成!」関係のブログ満載! ←西武ライオンズのことならここ ←「プロ野球、メジャーリーグ」の情報満載 人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク

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