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行政書士マッチャンでございます

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2013年11月04日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 前回の書き込みで楽天イーグルスのパ・リーグ優勝のことを話題にいたしました。今日は日本シリーズ優勝についてです。

 日本シリーズ第7戦までもつれこんで楽天イーグルスが優勝しました。私は7戦すべてテレビで試合開始から終了まで見ました。もちろんイーグルスを応援です。東北人、被災県に住む者としてはやはり楽天が希望の星でした。このチャンスをなんとかものにしてもらいたい。そう思う、いやそれ以上に祈りでありました。

 野球界全体で応援するチームは楽天、セ・リーグで応援するのは巨人。その2チームが相対するわけですが、やはり楽天の応援は「判官びいき」だけでなく地元チームであったればのことです。

 巨人の最後の打者が三振して試合終了。テレビに映る球場内外の楽天ファンが涙する姿に私も同様にタオルで目を拭いました。皆、9年前の弱小チームの姿を思い出しているからです。そして震災後の選手の被災地訪問と被災者支援活動。それが多くの「おらがチーム」意識を深く持たせたことは誰にも否定できないことであります。

 楽天の優勝には多くの人々の心の支えがあった。励ましが寄せられた。選手がそれに応えてチームのために努力して結果が出た。みんな「お陰様」のつながりの上に出たものだということは間違いがありません。物的なものだけでない人と人との精神的な「お陰様」を感じることで人間は実力を発揮できると感じたこの1年でありました。

 祝勝会でのビールかけの様子はすさまじかった。一体何本くらい使ったのでしょうね。頂点に立った者だけに許される快感、喜びを体いっぱいで表現していました。祝勝会は球場内でやったのでしょうから、後片付けは大変だったでしょうね。今日は一人一人どのようにしているのでしょうか。それも見てみたいものです。

 もう11月ですか。カレンダーがあと2枚。また1年の締めくくりを迎えなければなりません。






最終更新日  2013年11月04日 15時20分39秒
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2013年09月29日
カテゴリ:カテゴリ未分類
書き込みもすっかり間があいてしまいました。

東北楽天ゴールデンイーグルスがパリーグシーズン優勝を果たしました。私も東北人ですから掛け値なしでうれしい。

チーム発足時から今日までつらく長い日数を経験した選手はもう数少ない。この日を見ずにチームを去って行った選手たちの思いが詰まったグラウンドの上で躍動し喜びを発散する選手は素晴らしい。その中でチーム発足時から今もプレーする小山投手のインタビューは私も万感の思いで聞いていた。

チーム創設時は選手の扱いもかなりよくなかった。練習するにしても、施設にしてもまるでプロ球団とは思えない中での船出であった。その年の公式シーズンが始まれば他チームからはチーム合併ではじき出された寄せ集めチームという目で見られる。応援する者としてはいたたまれなかった。

毎年少しづつ上位になっていった。でもいつになったら胴上げが見られるのか、と長年思っていた。これは地元の仙台や東北地域の皆様も同じであったろう。加えて2年前の震災を経験し、皆で一つになって応援できるスポーツチームがあっただけその存在は大きかった。昨年はサッカーのベガルタ仙台がJリーグで最後まで優勝を争う。今年は野球で優勝した。

社会人野球で実力のある日産自動車の社長であるカルロス・ゴーン氏が、自チームが都市対抗野球に出場しその応援に東京ドームに行った際のインタビューで言っている。会社という一つ屋根の下にいてスポーツを通じて自チームを同じ思いで応援することで会社が一つになる。そのエネルギーは計り知れない。

東北地方に住んでいる方々の希望と誇りを担い結果を出せた選手たちへ称賛を贈ることを惜しまないものでございます。その他、サッカー、バスケットボール、バレーボールなど、たゆまぬ練習、鍛錬に励む多くの選手に声援を送り続けます。かつて自分もやったのですから。






最終更新日  2013年09月29日 13時44分26秒
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2013年03月09日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 3月ともなると春を目前にして心がはずんでくる。北海道ではまだ雪が降り続いているとのニュースが報じられますが、当地は気温が氷点下になることもなくなってきました。桜の花が待ち遠しい。

 モーツァルトの大学祝典序曲を耳にする機会がありました。ブログですから皆さんにお聞かせすることができません。この音楽は私くらいの年代なら知る人ぞ知る思い出の曲です。

「旺文社大学受験ラジオ講座」昭和の時代にかなりの数の受験生が聞いていたラジオ番組です。その放送の冒頭にこの曲が流されていました。私も受験生のときにこの放送はラジオ短波でかじりつくように聞きました。

数多かったであろう講師陣の中でとくに記憶に残る先生は
・勝浦捨造先生 数学
・寺田文行先生 数学(数学の鉄則)
・西尾 孝先生 英語(西尾の英文法)
・竹内 仁先生 物理

他にも聞いたであろうがこの先生方だけは今でもさっと名前が出てきます。

寺田先生は「鉄則」という言葉を用いて高いトーンの声で話されていた。
西尾先生の英文法は講座テキストの付録にその小冊子があり、擦り切れるまで何回も読んだ。
竹内仁先生はその後、映画「日本沈没」にも出たし雑誌ニュートン編集長としてお姿はよく見た。

特に思い出があるのは勝浦捨造先生。
 ラジオ講座では、講義そのものよりも頑張れよという励ましの言葉の時間が長かった。私の思い出はそれだけではない。
 私も大学受験なので夏休みに市内予備校に通いました。数学の時間に教室に入ってきた講師がどうも見たような気がする。周囲の受講生からもひそひそ声が聞こえ始める。そして先生がご自身の名を言うと私をはじめ教室内からおお~という声が上がる。この方があの勝浦捨造先生か。もうあとは何を講義されたのかは覚えていない。
 講義が終わったので早速教壇に向かい挨拶後、一言頂戴できませんかとノートを差し出したところ、笑顔で書いてくれた。

「若者には 未来というすばらしい宝物があるんだよ 勝浦捨造」そして握手。

その後も受験までラジオ講座は聞き続けました。

 大学卒業後社会人になり、若い部下や仲間にに接するようになってその方々が自分の進むべき方向性に迷っているときは必ず言う。自分が決断したことは迷わず進め。若者には未来というすばらしい宝物がある、と私はこの言葉を伝えています。

 今、自分が勝浦先生の年代になり、先生が何をみんなに伝えたかったのかわかるようになりました。その言葉を伝えるからには自分もその模範にならなければならない。人間として勉強を続けなければなりません。まだまだ未熟者でございますよ。









最終更新日  2013年03月09日 20時27分34秒
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2013年02月16日
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 厚生労働省が行う保健師国家試験のある会場で試験監督員をしてきました。

 受験生を前に試験の注意事項の説明、解答用紙、問題集の配布を行い、試験時間中は不正が行われないよう監視(あまりいい言葉ではない)するのが役目です。私のほかに2人、合計3名でその試験会場を担当しました。

 保健師の試験だけに受験者は若い女性が圧倒的に多い。でも男性受験者も2%くらいいます。勉強したことを精一杯答案用紙に書きなさい。自分が選んだ道に進めるかどうかこの試験にかかるのだから。そう心の中で皆に問いかける。一心不乱に問題に目をやり真剣に考えれば考えるほど、机に肘をついて顎を支えるポーズになっていく。択一問題ではあるがやはり考えなければ正しい答えを見つけられない。

 私は多くの人を前に講演をすることがよくあります。仕事柄、遺言や相続の講演が多いため聴衆は高齢者の方ばかり。ところが今日目の前にいる100人に近い人々は若い娘さんばかり。年ごろからすれば自分の子ども。選別するための高校、大学受験と違い、国家試験の場合は基準点以上であれば受験者全員が合格しておかしくない。保健師を志し、人を助けるために働こうという心は崇高なものである。是非とも全員が合格してもらいたいものです。

 そう思いつつも自分の責務はなんであるか。試験を間違いなく実施し、不正が行われないよう注意しなければなりません。ともすれば監督員というものは、不正を見つけたら摘発するという心を持ちがちなもの。正義感をもつことはよいことであるが、不正をする目的で会場に来て、計画した手段通り回答を作成しようとする者はそういないはず。だから摘発よりも「不正の防止」に力を入れるべきです。その予防とは、事前の注意(これは警告)、個々の行動の注視、見回りが中心になる。顔つきも不正は許さんと鬼の形相をするのではなく、微笑みをもって行動する。「あなたたちの良心を信じます」そう表情で訴え続けました。

 人間みんな楽をしたいのです。試験だけでなく人生においても楽をしたいがために不正をする人間は数多い。それは否定できない事実である。それを若いうちに、ことに自分の一生を決める試験に実行してはなりません。正々堂々戦ってほしい。スポーツでいえばフェアプレーです。ファウルばかりしていてはなりません。あなた方は保健師になるためにルール(法律)を勉強してきたのでしょう、だったら資格を得る試験でもルールを守らなければなりません。

 全員に不正と思われる行動すら見られず試験時間が終了し、解答用紙を集めその回収枚数も受験者数と整合した。試験が終了したことを宣した後、別れ際にこの部屋全員の合格を祈ります、と監督員に定められた発言マニュアルにない言葉で締めくくった。緊張から解き放たれたのでしょう、娘さんたちは一斉に笑顔を見せてくれた。中には「はい」と返事をしてくれた人もいました。みんないい顔です。力を出し切った、精一杯やった人間が見せる安堵の表情でした。

 いつもおじいちゃんおばあちゃんが聴衆なので、たまにはこういうのもいいです。私も彼女たちから「若い力」を少しいただきました。(勘違いかな)






最終更新日  2013年02月16日 22時22分55秒
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2013年02月06日
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 南太平洋で大きな地震がありました。M8.0は大きいですね。午前中外出して事務所に戻ってきてテレビをつけると気象庁の会見が映し出されている。東日本大震災で当地も津波で大きな被害を受けているだけに「またか」という不安がよぎる。

 津波注意報は0.5mの津波が到来する恐れがある場合に発令されます。それでもあの大津波を経験した沿岸沿いにお住まいの方々はあの悪夢がよぎったことでしょう。あの地震のために沿岸各地で地盤沈下が起こり、今でも満潮時には浸水の被害にあっている地域がある。まだまだ復旧工事は進まず土のうだけで急場をしのいでいるところも多い。そこにきて津波注意報はまだ拭い去れない心の痛手に追い打ちをかける。

 東日本大震災では太平洋をはるか隔てた北アメリカにも高い波が押し寄せた。太平洋は一続き。地震後の特別番組では太平洋を大きなたらいに例えて津波が伝播していくと解説をしていた。今回は南太平洋ソロモン諸島の東側が震源で日本にも津波の恐れがあるとして注意報が発令されたところです。

 東日本大震災の1年前には南米チリの大地震による大津波警報。そして東日本大震災の大津波。今回は注意報ではあるがこれを書いている間はまだ解除になっていない。父島で第1波が10センチ、第2波が20センチ。それでもあなどれない。被災地の方々は不安な一夜を過ごされるでしょう。いずれ注意報は解除されると思われますが、人々の脳裏からあの忌まわしい思い出がは消えることはない。

 復興自体まだ緒についただけでこれからであるが、被災地で事業を再開した人々が将来を信じて明るく笑顔を見せる姿が報じられている。その人々に共通する生き様が次の言葉に集約されよう。

「どっこいおいらは生きている」

 お亡くなりになった方々の分も頑張らなければならない。しかし先はまだまだ長い。






最終更新日  2013年02月06日 21時03分26秒
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2013年02月01日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 テレビでもインターネットを見ても最近は「バレンタインデーの贈り物」などの広告がやたら目につきます。売らんかなの商魂たくましい広告が出されているのですが、この年になると全く「ご縁」がなない。

 何年も前のこと、娘がまだ幼稚園児だったころ私に「バレンタインだからチョコレート買って?あげるから」とねだる。幼稚園でも話題になっているのだなと思いながら前日にスーパーに連れて行きました。どのようなチョコがよいのか幼い娘にわかるはずもない。私が選んで包装してもらう。娘に明日なんだからねといいながら渡す。翌日仕事から帰宅した私に飛びつくように寄って来て「はい、プレゼント」と言う。ありがたく受け取って「あとでゆっくり食べるからね」ととりあえず冷蔵庫に入れる。

 チョコレートを冷蔵庫に入れたのを忘れていて、さらに翌日の晩になって思い出し冷蔵庫を覗いてみればその姿がない。

(私)「もらったチョコレートはどこいったろう」
(娘)「食べたあ」
(私)「はいはい、そうかそうか」

大体がどこのご家庭でもなりそうなオチに収まる。

 今は義理チョコをくれるどころか「そのけ」もない。ま、父親というものはそういうものなのでしょう。私の誕生日すら家族は思い出してもくれない。でも私は何をしてあげるわけではないが娘の誕生日にはおめでとう、何歳になったね、くらいのことは声をかけている。女房には一切言わない。

 生きているだけでいいのである。家族の中で順番からいえば私が一番先にこの世を去るのであろうが、命日だけは忘れないでくれよ。ただ、それを見届けることはできないので「切なる」願いとしているオヤジです。






最終更新日  2013年02月01日 17時34分48秒
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2013年01月30日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 今日、法務局に行ってある会社の登記事項証明書の交付を受けてきました。証明書交付窓口のフロアーに行ってみると、証明書の自動申請機がある。もちろん今初めてわかったことではありませんが、自分で記入台で申請用紙に内容を書いて交付手数料の収入印紙を購入・貼付して窓口に出す。このいつもの手順とどれだけ楽なのだろうと気になるところ。しかしながら、結局手書きの申請をしてしまった。

 私のいる市の市役所、出先機関には住民票や印鑑証明書発行の自動交付機があります。利益を得る小売販売目的の機械ではないので「自動販売機」という表現はふさわしくない。自動交付機というのが一番よいでしょう。確かに便利ですね。待たずに住民票が入手できる。確か、首都圏ではコンビニでもできるようになったとの報道があったことを覚えています。行政サービスがよくなってきたと言えると思います。

 市役所で住民票や戸籍などの証明書を交付を受けようと思って来所した人が窓口でトラブルになっているのをよく見ます。今は交付を受ける人の「本人確認」が行われますが、それを持ち合わせていない(または忘れた)ときによくトラブっています。

ある事例
「俺だ俺」
「そうおっしゃられても」
「女房の住民票を亭主がもらって何が悪い」
「それは問題ないのですがあなた様自身が誰なのかわからない」
「俺が自分で自分を□□□□と言っているんだから間違いねえんだ」
「その確認ができるものがありませんと」
「何!疑うのか」

窓口係員の上司も巻き込んでの押し問答の末、結局その人はすごすご帰っていく。官公庁のルールは絶対なのです。

 行政書士となると、住民票や戸籍証明の交付に「職務上請求書」というものを使って申請することがよくあります。依頼者から頼まれてどのような手続きに使うのか明記し職印も押印します。これを使えば赤の他人である私でも第三者の方の証明の交付を受けられます。もちろん行政書士登録票を合わせて見せなければなりません。一般の方が窓口に行くのと行政書士が行くのとの絶対的な違いは係員から極めて丁重な応対をされること。こっちが逆に恐縮してしまい、お互い窓口を挟んで最敬礼の応酬になってしまう。それだけ公的な身分なんだなと思い知らされます。下手なこと絶対出来ません。

 自分自身の住民票を自動交付機で入手するとき、機械は別に特別扱いしてくれません。でもあっという間に機械から出てくる。その場に来た人を分け隔てせず同じ扱いをする。公平ですね。でもその機械を使う場合にはあらかじめ暗証番号を登録したカードを持っていなければならない。公平な行政サービスを利用するにもやはりルールというものを守らないと利用できないのです。

 あの窓口で騒いでいたおじさんは次から本人と確認できるものをしっかり持ってくることでしょう。そうすれば自分の権利を守ることにもなるのです。

 昨日ブログアップした「氷かき」ですが、体のあちこちが痛くなってきました。湿布薬を貼る箇所が増えそうです。






最終更新日  2013年01月30日 18時08分49秒
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2013年01月29日
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 雪かきという言葉はよく聞きますが、氷かきとはあまり聞きません。かき氷ではないのか、いいえ氷かきです。

 3月14日の大雪が我が家の日の当たらない道路にまだ残っている。日が当るところはもう消えているのにそこだけ圧雪されたものが氷となり、もはや半月になろうとしているのにしっかりと根を張ってしまいました。スケートリンクのごとくになっているので危険この上ない。自転車の高校生は危うく転倒しそうになり、遊びながら行く小学生は喜んで滑っている。でもやはり危険な道路を放置してはいられない。

 毎日のように融雪剤を撒いていても効果がないくらい頑固であるが、今日は比較的暖かいのでとうとう実力行使をしました。近所から柄が身長ほどもある先に金具のついた道具(本来は畑などの雑草取りか)を借りて路上の氷を叩いてみる。びくともしない。そこで金槌で先制攻撃をかけ一部でも道路のアスファルトを露出させる。そこから彼の道具で手前に引っ張るように氷を持ち上げると面白いようにはがれてくる。氷と道路の間に水がしみでていたので容易にはがれた。厚さは最大で10センチ近い。これじゃあ溶けるまで待っていられない。

 でもあとで後悔した。はがし始めると自分のテリトリー(責任範囲)で終えられなくなり、結局ご近所一帯をせざるを得なくなりました。氷を叩く音を聞いた顔馴染みが家から出てきて感謝の言葉をいただくが、本心は「仕方ねえからここまで来た」。終えた後の腰の痛いのなんの。ま、とくに功名を得たいがためにやっているのではない。自分のことは自分でしなければならない。それが幾分か領域が広がっただけのこと。

 相続、遺言に関しても同じこと。財産をお持ちの方は自分の財産は自分で責任を持たねばならないのです。死んだら誰かうまくやってくれるだろう。はたしてそうでしょうか。そう思っている人の相続こそ結構揉めることが多い。自分は死んでわからなくなるからいい。でも残された連れ合いさんがその騒動の渦中に心を痛めることになったらどうあの世で申し開きするのでしょうか。

 子どもたちによく言ったでしょう。自分のことは自分で責任を持ちなさい! だから自分のこともそうしなければならないのです。

今晩は間違いなく湿布薬を腰にベタベタ貼ることになりそう
・・・自分のした結果には責任を持ちます






最終更新日  2013年01月29日 14時34分22秒
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2013年01月24日
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 先日自宅からは離れていますがいつも買い物をするスーパーマーケットに行きました。それも平日の昼さがり。

 売場内ですれ違おうとした人に見覚えがある。まさかこんなところで会うはずがないと思いながら名前を呼んでみたところまさしくその方でした。6年ぶりくらいでしょうか。その方は私がかつてサラリーマンをして同じ会社にいた方でした。部署も違い、また在職中同じ事業所にいたこともない。しかしなぜかお互いに顔、名前は知っている間柄。そして彼も私も同じ時期に会社を早期退職。私は行政書士、彼は職探しをした後に市民センターの所長に再就職しそれぞれの道を歩んでいたのです。

 人間それぞれ自宅から外出してあちこちを歩き知っている人と会うことはまずない。知っている人より知らない人の人数が多いのです。日時を示し合わせて同じ地域を歩くというならともかく、何年も会っていない人が出くわす確率ってどのくらいなのかと思う。出会ったスーパーマーケットは私もそうだが彼も自宅からは離れている場所にある。共通点と言えばその日時、場所にそこに買い物でも行ってみようかと思っただけです。彼はたまたまその日休暇をとっていたとのこと。

 お互いの近況話しを立ち話しで進める。聞けばまだ市民センターの所長をしているとのこと。そこで昨年11月に他の市民センターで行った「遺言の書き方」講演をした感想を述べてみた。ウチのセンターでも機会をとらえて開催できないか将来検討してみようと言ってくれた。彼のいる市民センターの周辺住宅は高齢者夫婦だけの世帯が多いとのこと。いずれ来る相続の心配を目前して、気にはしているがきっかけをつかめないでいる人々がかなりいそうである。内容が内容だけに知りたい人が多いだろうとの結論が出ていつか講演資料を参考までセンターに送りましょうと約してお別れした。

 本来なら住生活上、その場所で会う確率がほとんどない2人の「会う確率」を計算できるのであれば計算してみたい。しかし大学で習った「確率計算」のやり方などすっかり忘れており、また勉強してその確率を計算できるようになるという「確率」を考えると、それは偶然のなせる技と思えばよいと結論付けました。安易な逃避とお笑いください。それよりも講演の話題を出し(PR?)たことにより、それをきっかけに彼との交流が復活する確率に尽力したほうがよいと考えます。






最終更新日  2013年01月24日 19時55分45秒
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2013年01月20日
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 You Tubeで「地震、津波」と入れて検索をしますと、東日本大震災の投稿ビデオが出てきます。私は今でも新たな動画の投稿がないか毎晩見ています。そのため投稿されたものは総てといってよいくらい見ました。震度6強を経験し、その後耐乏生活をしましたが、それでもあの時のつらさ、怖さを映し出す画面は見続けています。

 その投稿ビデオの中に、新幹線車中で地震速報が鳴り停車した車内が映し出されているものがありますが、昨年12月にそれを私自身で体験いたしました。

 昨年12月7日、仕事帰りで大宮から東北新幹線の下り列車に乗っていました。

 17:19、福島県内走行中、私を含めた多くの方々の携帯電話に地震速報(エリアメール)が一斉に入り、ブザーがけたたましく鳴り始める。心の中で、ええ?うそだろうと思う。とたんに車内は停電し電車は失速するように停車。車掌さんの停車説明を聞きながら車体の揺れを感じる。携帯電話はもちろん通話困難であるが、車内の2、3人は通じて話をしていました。先の震災では新幹線に長い時間閉じ込められた事例があると聞いていたので、何時間かかかることを覚悟したところです。

 驚いたのは満席の車内の人たちが極めて冷静に落ち着き払って「事態の動き」を待ったこと。暗くなった車内で揺れを感じながら、見知らぬ隣席の人と語りあったりしている。そして、誰ともなく、仙台と携帯メールがつながりますよ、盛岡もメール可能です。などと独自情報が発せられる。自分の情報だけでしまわずに周囲の人に教えあう。私はラジオを持っていたが十分に電波が入らない。ラジオを窓に近づけボリューム最大にし、周囲の人になんとかニュースを聞かせた。

 一度大きな震災を体験した人はまた地震に遭遇したら「腹が据わる」ものだと感心した。騒ぐ人もおらず、乳飲み子を抱いて不安がる母親には近くにいた見ず知らずであろうおばあさんが声をかけに行く。また車掌さんもよかった。情報がない中で乗客を落ち着かせるため数多く車内放送をしたり、これまでの経験からこの先の仙台までは運行されるがその先は相当時間がかかるだろうと言う。ほとんどが不確実情報であるが、乗客に「うむ、そうか」と思わせるアナウンスを続けた。

 停電後30分ほどで電気がつき、40分経ったころそろそろと走り出した。その速さは新幹線とは思えぬものではあったが着実に北に向かって進み始める。途中、線路の安全が確認されたのか在来線くらいの巡航速度で仙台に向かう。車内には安堵の気が立ち込めながらも余震でまた止まりはしないかとの不安も交錯していたところです。仙台駅に着きホッとして車窓を見ればホームは黒山の人だかり。列車は来ないし、着いてもここから先には当面走る列車がないのだからどうしたものかとみな思案顔。

 なんとか我が家にたどりついた。今回の地震は先の震災と比べても相当小さなエネルギー。あの3月11日に車内で新幹線に閉じ込められた人々はどれだけ不安で怯えただろうか、また騒ぎは起きなかったのか想像するしかない。

 経験をしていることがいかに強く次の体験にいかされ、心の大きな抑止力になるか体験できたところに私には有益な出来事でした。

 







最終更新日  2013年01月20日 20時46分38秒
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