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3月11日の東日本大震災から早や1ヵ月半を経過しました。でも私の心メモリーはその日の午後2時46分を記憶して静止したままです。
1000年に1度の災害であったと報道されていますが、私などまだよいほう。家を流され、家族、血縁を失った方がいかに多かったか。その悲しみというマイナスの感情エネルギーをもし集積することが可能ならばどれだけの容積になるか計り知れない。日本全国土を覆いつくしても有り余るほどでしょう。 確かに何週間もの間は耐乏生活をいたしました。ライフラインも途絶え、食料もままならずにいた環境の中で、徐々に各地から援助の手が差し伸べられる。親が死んだときも耐えて泣かなかった自分が、自衛隊、警察、消防、電気、ガス、水道、物資輸送・・・遠方の地名の入った車両やユニフォームを来た人々の懸命に作業をする姿を見てそのありがたさにとめどなく涙する。 40年ほど前、小松左京原作の日本沈没が映画化されたとき、内閣総理大臣を演じた丹波哲郎の台詞が今でも忘れられない。各国に日本から脱出する国民の受け入れを1人でもいいから多くお願いしたいと打診して快諾を得られるありがたさにこう言っていた。 「かつて地球を支配した爬虫類(恐竜)の血は冷たかった。しかし人間に流れる血は暖かい。」 今回は如実にこの言葉を体験した。 今でも数多くの方々がボランテイア活動に馳せ参じてくれている状況を拝見して頭が下がりっぱなしである。いつの日か、前述した悲しみというマイナスの感情エネルギーが収縮し、やがて希望というプラスのエネルギーが膨らんでくれることを期待してやまない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月01日 21時23分17秒
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