マックの文弊録

2005/08/13(土)21:48

歌謡コンサートの姑息

小言こうべえ(110)

◇土曜日:旧暦七月九日 己巳(つちのと み)旧盆迎え火、上弦 新聞を読んでいたら、選挙に関連する話題に紛れながらも、面白い記事があった。九月二十七日に行われる、NHK歌謡コンサートの収録に、受信料不払い者の入場を拒否するというのだ。 こういう催しの収録現場に行きたい人は、予め葉書で申し込むのだそうだ。大抵会場の定員以上の人数が申し込んでくるので、NHKでは抽選を行う。そしてその結果当選した人に入場券を送るのだという。 ところが、その中に受信料を払っていない人がいる。 「受信料不払いの人が抽選に当たって収録を観に行っているのに、ちゃんと受信料を払っている人間が抽選に外れて観にいけないのは不公平だ。」という意見が多数寄せられた。 それで、NHKとしては、不公平感を無くすために、葉書を寄せた人のデータを、受信料の台帳と照合して、受信料を払っていない人は抽選の対象から外すことにした。 そういう記事である。 なるほど。NHKの対応は至極ご尤もである。 民放のコストは全てコマーシャルのスポンサーによる広告料によって賄われている。広告料は当然商品やサービスの原価に反映されるから、我々は遍くこれを負担していることになる。つまりは、消費税のようなものだ。だから買い物をしている限り不払いということはありえないので、誰でも番組を見る権利を持っている。 それに対してNHKの運営費はすべて受信料で賄われている(そうだ)。これは個別に徴収されるから、消費税とは異なり、不払い者は云うならば脱税をしていることになる。(但し罰則規定は無い) しかし、NHKの予算や運営方針は国会で承認される仕組みになっており、受信料を払っている人たちのいわば「株主としての権利」を行使する場は明示的には存在しない。だから先般のような不祥事が続くと、NHKに対する単純な叱正手段として受信料の不払いが増えるのは、これも又至極当然のことである。 「番組を観る」事に対する受益者負担としての受信料という考え方と、NHKの運営方針や経費等の使途に関する監視・発言権を有することの、いわば株主資格を取得保持するための対価としての受信料という考え方。この二つの考え方がちゃんと整理されていないから、事は余計にややこしく分かり難くなっているのだ。 僕などは、「受益者負担としての受信料」の方がはっきり、すっきりしていいと思う。だから、受信料を払わない人はNHKを観なければいいのだ。 「それでも、テレビにチャンネルが付いている以上、NHKの番組を観ることは出来るでしょう。観られるようになっているのだから、観る観ないに関わらず受信料を払ってください。」というのは、NHKの勝手だ。 使いもしないガス代を請求されて、「ガス管が来ているんだから」といわれて、納得して払う馬鹿はいませんな。 要するにNHKは受益者負担ではなく、国民が「公共放送という機能」に遍く負うべき義務としての受信料という考え方をしているように思える。 今回の新聞記事が面白いのは、当のNHK自身がこの「受益者負担主義」を採用してしまったように見えるからだ。こういうことなら、受信料を払っていない人は、当然ながらNHK歌謡コンサートを観にいく権利は無いのだ。収録を観たいのなら、受信料を払えば良い。それだけのことだ。 しかし・・・だ。 一体、「あの人は抽選に当たったけれど、受信料を払っていないのだ。」ということなんて、普通分かるものなのだろうか? ご近所の誰それがNHK歌謡コンサートの入場券を申し込んで、 自分も同じく申し込んで、 しかも自分は抽選に漏れて、 それに対してご近所は抽選に当たって、 かつそのご近所が受信料不払い者である。 これだけの条件が全部そろわないと、苦情なんか寄せられないじゃないか。 しかも、そういう苦情を寄せる人が沢山居る、なんて本当なんだろうか? わが国の現代の「ご近所」はそんなにも緊密に相互監視で結び付けられているのだろうか? これはどうにも信じられない。 そうなると、これはNHKの一人芝居なのではなかろうか? 受信料収入の激減に悩んだ挙句、やっとの思いでひねり出した対策なんじゃ有るまいか? どうもそんな気がして仕方が無い。 方々はいかがお考えになるであろうか?

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