2007/01/23(火)04:55
ロウバイ、蝋梅、狼狽
◇1月22日(月曜日); 旧師走四日 丙辰、木阿弥忌、臘日
今年、1月20日(土曜日)は二十四気の「大寒」で、その前日の19日は新月(朔)であった。
旧暦では新月の日が月の始めになる。つまりは、19日は旧暦十二月の初日であった。旧暦では未だ年が明けていないのだ。
年の納めのころになると、普段人の道を説いて悠然となさっている「師」も慌しく走り回る。或いは、暮れになってお坊さんがお経を読むのに東奔西走する。はた又「年が果つる月」、が訛って「年果つ=としはつ」→「しはつ」、などと云うのが、十二月を「師走」という、その語源だというのは普通に知られている。
しかし、何事もどんどん人工的になってきた今に較べて、暦がはるかに生活に密着していた頃には、月名称は様々にあって、十二月は他にも「極月」、「春待ち月」、「年積み月」、「雪月」、「梅初月」などとも呼ばれていた。和名には日本人に親しみやすい語感がある。
ところで十二月には「臘月(ろうづき)」という呼び名もある。
これは語感からしても和名ではない。そう、中国由来の十二月の呼び名なのである。
「臘」と云う字の旁(つくり)は「ろう」又は「りょう」と読み、「合わさる」とか「集める」という意味を持つ。この字に幾つかの偏を組み合わせるとそれぞれの漢字が派生する。
つまり月偏を付けた「臘」は新年と旧年が接する(合わさる)月ということで十二月になり、獣を狩り集めてくれば「獵」(猟は獵の略字である)。蜂という虫が花を巡ってせっせと集めて来るのが「蜜蝋」で、それを集めてこしらえたのが「蝋燭」。そして、鉱石を集めてきて精製して得られる「鑞」。(「鑞」は青銅として最も古くから使用された金属で一般には「錫」という字を用いる。ちなみに「白鑞」といえば、錫と鉛を合わせた合金で、ハンダのことだ。「鑞合金」とか「軟鑞」ともいう。)・・・しかしこういう旧字は、ワープロソフトがあればこそで、僕なんかはとても手書きできないな。
つまりは、新旧の年が境を接する十二月(臘月)に、皆で獵をして得た獲物をお供えすることで新世代の子孫が祖先に出会う。それを「臘祭」と云ったのである。古の中国の人の発想の過程、かなり理屈っぽい。
この「臘祭」は「臘月」の「臘日(ろうじつ)」に行なわれていたのだが、この「臘日」とは二十四気の「寒」に入ってからの二度目の「辰の日」(つまり今年の暦では今日の事だ)のことを云うのだそうだ。しかし僕はその由来は知らない。どうせ、もっと詳しく調べれば何かの理屈があるのだろう。更には、この祭礼は「臘の刻」をもって執り行われる・・・なんちゃって。そうなると一種呪術的偏執狂じみてくるな。
この「臘月」になると咲き始める花がロウバイである。
通りすがりの家の垣根の向こうに、この季節には珍しい花を見つけて近寄ると、人の背よりやや高いくらいの木の葉の落ちた枝先に、丸っこい黄色の小花がほろほろと纏わりつくように咲いている。何枚も重なった花びらは、蝋細工のようにはかなく薄く透けて見える。そして、運よく風がない時には花から漂ってくる、上質の香に似た、濃密な甘い香りに驚かされるのである。
ロウバイは「蝋梅」と書き、花弁が蝋細工のように見える梅に似た花だからだ、というのが通説らしい。一方で旧暦の「臘月」になると咲くから、本来は「臘梅」であるともいう。
蝋梅は又「唐梅(トウバイ、カラウメ)」などとも呼び、日本古来の品種ではなく中国原産の植物である。我国には江戸時代に渡来したというが、もっと古いという説もあるようだ。
梅という文字が名前にあるが、梅の仲間ではなく立派に独立した一派を為している。英語では、「Winter Sweet」といい、学名も「早熟の冬の花」という意味だ。
大寒の翌日、宮崎県の知事選でそのまんま東が当選した。
首長の悪事や不正が露見して選挙になると、プロの政治家ではない素人が選出されるのは、過去にも何度かあった。それが極端に振れるとお笑い芸人にも票が集まる。閉塞状況に対する不満の噴出がそうさせるのだろう。それでも、今までの県政に対する怒りを抱えて投票所に赴いた宮崎県の人たちが、小さなブースに顔を突っ込んで、真面目くさって「そのまんま東」などと書いているのを想像すると可笑しい。
この人、本名は「東国原英夫」と云うのだそうで、本名で立候補していたら名前の書き間違いが続出して無効票が増え、落選していたかもしれないとも思う。
しかし、「お笑い」は一県の首長に求められる「汎用性を持った真面目さ」の対極にあるものであり、彼としてはこれまでの人生の生き方を正反対にしなければならないという辛さがあるだろうと思う。
これまでの軽い路線で行けば途端に顰蹙を買う。一方で威儀を正して首長の職務に邁進すれば、ともすれば没個性になり、プロとの比較で批判されるか、すぐに飽きられ忘れられるかする。タレントとしての人気で首長になった場合、その寿命は短いというのがこれまでの例である。
「全くの新人こそが県政を変えられる」というのが、この人の選挙戦を通じての主張だったそうだが、一方では早稲田大学時代の友人とで、ちゃんと数値目標も織り込んだマニフェストも用意されたらしい。そういう愚直さというか、真面目さも持ち合わせた人のようでもある。
お笑いは常にその裏に毒を含む。その毒ゆえに芸人は社会や権力・機構の「常識」を笑いに転化できる。そして庶民の鬱屈のガス抜きをしてくれる代理批判者としての存在を得るのである。その存在はあくまで批判者であって、実行者や指導者ではない。
この毒と、首長として皆が期待してしまう真摯な指導力とどう折り合わせて行くのか。ニュースなどで見る新知事は、どうもこれからの現実を前にして今更ながらロウバイなさっているようにも見受けられる。