マックの文弊録

2007/01/28(日)16:10

香に一考

◇ 1月26日(金曜日); 旧師走八日 庚申、上弦、文化財防災デー、道元禅師誕生会、事始、針供養 昭和24年(1949年)のこの日に、修復作業中の法隆寺金堂が失火によって焼失した事から、今日は文化財防災デーなのだそうだ。 最近自分の部屋で香を焚く事が多い。 書斎などとはとても呼べぬ(それでも雑多な本は本棚に入りきれないほどある)単なる居室に過ぎないが、その中で香を焚いて本でも読んでいると、随分落ち着ける。但し、頭に乗って焚き過ぎると烟い。我部屋が狭すぎるのだ。 ほの暗い伽藍にいずこからともなく漂ってくるやんごとなき芳香などとは、今の僕の家屋事情では中々実現できるものじゃない。 香と言えば、良く知られているのはビャクダン(白檀)とヂンコウ(沈香)である。 白檀は東南アジア原産の喬木で、別名センダンとも言う。「栴檀は双葉より芳(かん)ばし」という、あの栴檀である。「双葉より香る」と云うように、栴檀は加熱しなくても生の木自体が芳香を発する。それで、香としてだけでなく、仏像に刻んだり、数珠をこしらえたり、身近なところでは扇子にしたりする。白檀の扇子のはためきに送られてくる風は、華やかだけれどしとやかに落ち着いた女性を思わせる。 もう一つの沈香は、沈丁花(ヂンチョウゲ)科の木から採れる。そのままでは、ただの黒い小汚い木片に過ぎないが、沈香は火にくべるとえもいわれぬ芳香を発する。 沈丁花科アクイラリア属に分類される木が伐られて切り株が残ったり、或いは樹皮が何らかの理由で傷つくと、これを癒し、腐敗を防ごうとして樹脂が分泌されてくる。これにバクテリアが作用し、かつ年月を経て熟成することで沈香が出来上がるのだという。沈香は、「沈水香木」の略語だが、これは、木質に樹脂を含んで比重が増し、水に入れると沈むからだ。 樹脂が芳香成分の主体になるためか、沈香はその産地や、熟成年月によって香りが様々に異なるのだそうだ。中でも最高とされるのが伽羅(きゃら)。これはベトナムを産地とする沈香で、今では滅多に採取できないものとして珍重されている。 我国は茶道や華道など、日常の茶飯まで何でも「道」にして勿体を付ける癖があるが、香の世界にも香道と云うのが有る。組香といって、定められたルールやしきたりに則って香の異同を当てるのだそうだ。大の大人が雁首を並べて、真面目な顔をして鼻をひくつかせながら、香の氏素性をあれこれあげつらうのは想像するに滑稽なものだ。 それにしても、人間の五感のうち、嗅覚が一番弱いわけでもなかろうに、匂いや香りを表現する言葉は非常に貧困だと云えまいか。嗅覚には他の感覚と独立した形容詞は無いのである。香道でも香りを「味」になぞらえて「苦甘辛鹹酸(鹹は辛い)」などと表現しており、これを「五味」という。つまりは匂いには視覚や聴覚におけるように、感覚を定量化する手法が確立していないのであろう。 煙草の紫煙だって、人によっては芳香であるのに、別の人にとっては毒煙として、ただの悪臭である。香を焚いたのだって、クサイだけだという人がいても不思議はない。これは他の感覚だって同じだ。 色々思うと、特に香りは思い出との結びつきが深いような気がする。 日向で干した布団の(昔は何処の家でも布団は日向に干したものだ)「お日様の」匂い。秋になると漂ってきた干し藁を燃す、少し渋いような匂い。母親の割烹着に染み付いた、台所の水の匂い。・・・・・ その中で白檀は、晴れがましい席に招かれた時の、しばらく見ないうちに思いがけず臈たけ、何だか遠くなってしまった従姉妹。沈香は、近所のお寺のほの暗い庫裏。伽羅は、はるかに心をときめかせた年上の女性の小紋姿。僕の中ではそんな情景と重なって記憶されている。 お香の香りを好ましい、癒される、と感じるのは、そういう幼少期の記憶があってのことであろうと思う。それらの記憶の中の情景には必ず家族や眷属が結びついている。そうなると、核家族化して、年間や親族の行事とも疎遠になってしまった最近の子供達が大人になった時、香を焚き染めても「ただ烟い」だけ、と云うことになるのかもしれない。 香木の原産地はおしなべて南中国、インドネシア、ベトナム、カンボジアなど東南アジアの熱帯亜熱帯の国々である。我々が香を好む根源は、一方で幾世代も前の日本人の原経験にまで遡ることができるのかもしれない。

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