2009/03/21(土)15:10
アメリカ文学史とY染色体
◇ 3月20日(金曜日); 旧二月二十四日 甲子(きのえ ね): 先勝、春分の日
「カタカナになった外来語」から始まって、「バイキング料理」、「ヴァイキング部族」と、ブログ思考の連鎖は続く。
釈迦楽教授は、「ところで歴史上におけるヴァイキングの位置というのはもう少し注目されるべきで、アメリカに関しても、最初にこの大陸に移ってきたヨーロッパ人はヴァイキングだという説があり、アメリカ文学史をヴァイキング時代から考えるべきだとおっしゃる方もいます。」などとメール(コメント)を下さった。
なる程アメリカ文学史の世界にもヴァイキングに関わる議論があるのか。
ヴァイキングがノルウェーの荒海を越えて「海賊狼藉」の歴史が始まったのは8世紀頃だそうだ。きっかけは、その頃気候が良くなり、ヴァイキング族の人口が爆発した。そこで新たな耕作可能な地を求めて、紅毛碧眼屈強な連中が荒波の海に乗り出して行ったのだそうだ。
当時ヴァイキングの間では一夫多妻制が広く行われており、フィヨルドの狭い耕作可能の土地を所有する男共が何人もの女性をも所有していた。血気にはやる若者(男子)には中々女性が回って来ない。そこで彼らは、自らの遺伝子を残すためには、荒海を越えて新しい土地と♀を求めざるを得なかったのだ。
故郷を後にしたヴァイキングの若者たちは先ずスコットランド北部に到達したらしい。そして更にアイスランド、グリーンランドにまで至り、それらの土地には彼らによる襲撃と定住の証拠があるそうだ。
彼らは更に進んで、北米にまで到達したことは確かだが、北米大陸に定住した証拠はまだ見つかっていないそうである。
だから、彼らがアメリカ文学史に影響を与えたかどうかは未だ何とも云えないことになる。しかし、彼らの遠征に関する伝説くらいは当時の北米に住んでいた部族(やはりモンゴロイドだったのだろうか?)に伝わりその後も様々に伝承されて、結果アメリカ文学史に何がしかの痕跡を記す結果になったのかもしれない。
当時のヴァイキングの宗教は(北欧の原宗教は押しなべてそうだったが)多神教で、主神にオーディーンを戴きその下にヴァルキュリウルという戦争に関わる半神がいた。
この神の名は英語ではValkyr (ヴァルキァー)、ドイツ語ではWalkyure(ヴァルキューレ)と綴り発音する。もうお分かりだろうが、日本語(の発音)では「ワルキューレ」だ。ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」に出てくる9人の女神である。
ワルキューレは戦場を馬で駆け巡り、勇敢に戦って斃れた死者の中から天国(ヴァルハラという楽園王土)に迎えるのに相応しい者を選び取ったという。
ヴァイキングの若者たちは、「土地と女」を求めてスコットランドを始めとするヨーロッパの沿岸を侵した。彼らは侵略戦争で討ち死にしても、その勇敢さによって極楽王土(ヴァルハラ)に往生できると信じているのだから戦死など畏れない。それに相手は異教の神(キリスト)を戴く異教徒だ。信じる神が違う異教徒間の戦いは理非曲直の域を超え、異生物間の殲滅戦にも等しくなるのは、現代でも未だに事実である。ヴァイキングの襲撃略奪における暴虐苛烈さには凄まじいものがあったろう。襲われた土地の修道院(当時はキリスト教の修道院は外敵に対する砦でもあった)の修道士や村人などは、とても彼らの敵ではなかった。男共は殺され、女と財宝は掠奪された。
これが、人々の記憶に染み付いて、ヴァイキング=海賊=暴虐無残という伝承として残ったということのようだ。
ところで、「ヴァイキング」というのは元々北欧の武装船団の名称であったのが、後にその舟に乗って襲撃してくる部族名に転化した。当時のスカンディナヴィアには、攻撃的なヴァイキングとは別に豊穣な土地を求めて家族単位で移住していった人々も数多く居たことが分かっている。
こういう人達は北大西洋の島々へ移住して行き、やがては北米にまで定住地を求めて、その地にスカンディナビアの伝承を根付かせたかもしれない。彼らはヴァイキングよりも穏やかで、派手な恐怖伝説を残さなかったろう。とはいえ、原住民にとっては侵入者には変わりは無いから、お互い和気藹々とお茶でも共にしながら暮らしたとは必ずしも思えない。しかし、原住民と移住民それぞれの住居跡(建物の形や構造で区別出来るそうだ)が隣り合って並んでいて、しかも殺戮や掠奪の証拠である焼け石や大量の焼け炭の痕跡が「見つからない」遺跡がかなり残っているのだそうだ。
北大西洋から北米にかけて、略奪者としてのヴァイキング以外に、比較的「平和裏に」家族単位で移住した人々が居た事は、古びた遺跡以外にどうして分かるのだろうか?
ここに遺伝子学、つまりゲノムが登場するのだ。
人間の性別を決定するのはY染色体だ。人間には23対46本の染色体があるが、その内の一対だけが男と女で異なっている。所謂XX染色体とXY染色体だ。この対がXX染色体だと女性、XY染色体だと男性である。
このY染色体は「オトコ」を決定するものだと云うことになるが、これは男子間でしか子孫に継承されない。だからこのY染色体を追跡すると、特定の男子の家系を遡ることができる。
一方遺伝子には又ミトコンドリアDNA(以下略してmtDNAと書く)というものがあり、これは母親のみから子供に継承される。このmtDNAを追跡していくと、人類の系統を母系で辿ることができる。
これに係る有名な本が「イブと七人の娘たち」(ブライアン・サイクス)である。これによると、ヨーロッパの全女性は旧石器時代の七人の女性の子孫であり、更には全世界の女性は全てアフリカの一人の女性を始祖とすると推定できるのだ。所謂「ミトコンドリア・イブ」である。
さて、若しスカンディナヴィア人の北大西洋地域への進出がヴァイキングによるものだけであったとしたら、戦闘用の小さなヴァイキング船には女性は乗せていくことは無いから、彼らが到達した土地々の人々にはスカンディナヴィア人(ヴァイキング)のY染色体だけがその「痕跡」として残される筈である。それに対して、家族単位での移住に際しては、当然女性も一緒に行くわけだから、スカンディナヴィア由来のmtDNAも現地で継承されていく。
実際こういう調査はポリネシア諸島などで行われ、住民の移動の歴史や経路を検証するのに利用されている。その結果トールヘイエルダールの有名な仮説も変更しなければならなくなったそうだ。
同様の調査を北米の人々に対して行えば、アメリカ文学史におけるヴァイキング(スカンディナヴィア人)の影響如何に関しても何か面白い傍証が得られるかもしれないという気がするのだ。
(勿論そういう追跡研究の作業は膨大であり、「雑音」や他のあらゆる可能性を注意深く周到に分別していかなければならないから、僕が此処に書くような簡単なものではあり得ない。)
アメリカ文学史の解明にゲノムが貢献できるとしたら本当に面白い。
学問の発展の歴史は同時に専門化と細分化の歴史でもある。その結果それぞれの領域は相互に没交渉になってしまう。特に理科系の学問と文科系の学問の間の障壁は高い。
だから、上のような「学際交流」で何がしかの具体的な成果やヒントが出てくれば、今後の人類の知恵の進化のためにも面白く且つ有意な事だろうと思うのである。
※ 上に引いたブライアン・サイクス(Brian Sykes)はオックスフォード大学の人類遺伝学の世界的権威。一般向けの「イブと七人の娘たち」(The Seven Daughters of Eve)の他に、Y染色体の追跡を取り上げた「アダムの呪い」(Adam’s Curse:大野晶子訳でソニーマガジンズから出版 – 2005年)が出ており、どちらも知的好奇心をいたく満足させてくれる。