2010/05/07(金)20:58
根津美術館乱想
☆ 5月6日(木曜日) 旧三月二十三日 丙辰(ひのえ たつ) 先勝: 下弦
根津美術館に行ってきた。
最近は、とんと電車の切符を買わない。私はパスモというカードを買って、それを使っている。これは、電車で首都圏近郊を移動する時には非常に便利である。
例えば、私の家から利用する電車は西武線である。その最寄り駅から、東京の南青山にある根津美術館に行くには、地下鉄の表参道駅で降りるのが便利だ。さて、私の最寄り駅から表参道駅に行く際にはどうするか。
(1) 西武線で池袋駅まで行き、池袋駅から埼京線か湘南新宿ライン、又は山手線で渋谷まで行く。そして今度は地下鉄銀座線に乗り換えて表参道駅に到る。
(2) 同様に池袋駅まで行き、池袋駅から地下鉄有楽町線で永田町駅まで行く。そして今度は半蔵門線に乗り換えて表参道駅に到る。
(3) 西武線の練馬駅で地下鉄副都心線に乗り換え、明治神宮前で地下鉄千代田線に乗り換えて表参道駅に到る。
これ以外にもまだまだ有って、例えば練馬駅から地下鉄大江戸線に乗り換えるとか、山手線を原宿で降りて地下鉄千代田線に乗り換えるとかいう行き方もある。
これの何れを選ぶかということになると、一概には決められない。
首都圏では、異なる路線間の相互乗り入れがとみに増えており、偶々やってきた西武線の電車が、例えば副都心線直通だったり有楽町線直通だったりすると、乗り換えるのが面倒だと言う理由で乗り続ける方を選んだりする。或いは運転状況によっては、遅れが出ていたり、どうかすると運転休止になっている路線を避けて、急遽別の路線を選択することにもなる。(最近殊更に首都圏の電車網には、人身事故だったり、信号故障だったり、或いは線路点検という理由だったり、とにかく運転休止や遅延が頻繁にあるのだ。)
要するに、電車に乗った時点では、目的地までどういう経路で行くのが良いのかは決まらないことが多いのだ。こういう状況ではあらかじめ切符を買う事はできない。切符を買うには目的地は勿論、経由地も決めておかなければならないからだ。
私の使っているパスモには、同様のカードも何種類かあって、総じて「ICカード」などと呼ばれているが、これは改札を通る時に駅名の情報が書き込まれ、改札を出る時に駅名が書き込まれ、改札に組み込まれているコンピュータによって料金が計算されて、予めカードに払い込んである金額の残額から引き落とされる仕組みになっている。つまり改札と改札の間だけで料金が計算されるので、その間の区間でどういう経路を取ろうが構わないようになっている。それに切符と違い改札を出る時に精算されるという「実績主義」を採っているので、予め料金を調べて切符を買う、つまり「前払い」するのとは発想が異なるのだ。
上は、首都圏での話だが、他の町やその周辺ではどうか、私は寡聞にして知らない。恐らくは「大」の字が付けられる都市とその近郊地域では似たような状況ではないだろうか?
さて、今回は携帯の路線情報サービスで調べた経路にしたがって、池袋駅から山手線という経路で行った。但し携帯の指示では渋谷まで行って地下鉄銀座線に乗り換えろという指示だったが、ささやかな反抗心を起こして、原宿駅から地下鉄千代田線に乗り換えた。要するに、渋谷駅で銀座線に乗り換えるためには階段を上に「登らなければならない」のを思い出して、地下鉄の乗るのに3階の高さに登らなければならない不条理を避けたのだ。結果到着時刻が早まったわけではなく、むしろ1~2分遅れてしまい、悔しかった。千代田線は銀座線より運転間隔が長かったのだ。
こうして、異なる会社・路線間の相互乗り入れが進み、ICカードが普通になって切符を買わなくなると、お父さんの権威はまたしてもいささか失墜するだろうな。
昔は、家族でどこかへ出かけるとなると、乗る電車や時刻を調べ上げて、どこでどう乗り換えて目的地に行くかを決定し、全員の切符を買うのはお父さんの専権事項だった。そういう局面で、久しぶりの父権を行使できて、嬉しい思いをしていたお父さんも多かったろうと思う。ところが今ではそんなことなど、少なくとも都内や近郊では無理になってしまった。父権などもう滅亡に瀕している中で、これからは何にそれを求めていくのだろうか?
ところで、根津美術館の燕子花図屏風である。
当日はお天気が良い代わりに、夏のような暑い日であった。根津美術館は暫く改装されていたようで、新装成ったのを記念する意味で尾形光琳を中心とする、所謂「琳派」の作品を集めて展示したのだそうだ。誘ってくださった方は、4年ぶりの燕子花図屏風に感慨深げの様子だったけれど、正直に言って私はさほどの感興を覚えなかった。件の屏風は18世紀に描かれたものだそうだが、300年以上も人の手を転々としながら、よく今まで遺って来たものだ(屏風は家の調度であり、壁にかけて鑑賞するだけであった西洋絵画とは、その取り扱われ方が自ずと違うはずだ)とか、こんな屏風を置ける部屋はどんなに広かっただろうかとか、そんな事ばかり頭に浮かんで、肝心な画そのものには感銘を受けなかったというのが正直なところだ。
わざわざお声をかけてくださった方には、申し訳ない限りである。
その代わり、といっては何だが、美術館の敷地内の庭はとても良かった。
根津美術館は、元々は東武鉄道の社長でもあった根津嘉一郎さんの所蔵品を展示するために作られたのだそうで、根津さんのお屋敷跡が美術館の敷地になっている。お金持ちの庭園は流石のもので、地形に従い様々な木が植えられ、灯篭などもところどころに置かれている。折からの晴天の下で新緑が美しく、お庭の散策を大いに楽しむことが出来たのは良かった。
尾形光琳より庭を誉めるなんて、再び申し訳ないことである。