マックの文弊録

2010/06/03(木)13:42

水無月は水が無い?

そこいらの自然(44)

☆ 6月1日(火曜日) 旧四月十九日 壬午(みずのえ うま) 仏滅: 各地で鮎解禁 今日から6月になりました。6月の旧月名は水無月です。 6月は梅雨の頃と重なり、じとじと雨が降り続くことが多いので、実際の季節感は「水が無い月」とはかけ離れています。 これは旧暦と現行暦で、暦月の配置が異なっている所為です。 現行暦では6月はいつも梅雨の季節と重なりますが、旧暦では梅雨明け以後に六月が始まることも多かったのです。 二十四節気という、昔からの季節の刻み方があります。其処には毎月に「正節」と「中気」が定められています。旧暦六月の正節は「小暑」で、中気は「大暑」です。 ところで、旧暦では暦月は月齢に従います。新月の時は朔といって、この日が毎暦月の一日とされます。この朔から満月(望)を経て、次の朔の前日までが一ヶ月とされていたのです。つまりは太陰暦ですね。 月の朔望の周期は約29日ですから(旧暦では大の月が30日、小の月が29日になっています)、これを12倍しても一年間(地球が太陽の周りを一周する期間で、約365日です)には約十数日間足りなくなります。これが累積していくと、月と季節の間にずれが生じて、例えば暦はもう五月なのに、外は未だ雪が降り積もっているなどということになってしまいます。 暦は農耕の大事な物差しになっていたので、こういうことにならないよう太陽の動きを基にした二十四節気が並行利用されました。 つまり、「毎月に割り当てられた正節と中気の内、中気はその暦月の中に無ければならない」という規則が定められたのです。そうして、月齢とのずれで、中気がその所属する暦月から外れそうになると、閏月というのを設けてちゃんと中気が割り当てられた暦月に属するように調整したのです。こういうことから旧暦は太陰太陽暦と呼ばれるのです。 さて、六月の中気は「大暑」です。大暑は、今年は7月23日です。毎年大体7月23日頃になります。 そうすると、旧暦で大暑という中気が六月に入る条件で考えると、最も極端な場合、現行暦の7月23日が旧六月一日になることがあります。 こうして大暑が旧六月の始め近くにある時は、もう梅雨はとっくに明け(日本の本州での梅雨明けの時期は大体7月中旬から下旬にかけてのことが殆どです)、太陽が照り付けて水不足になることは良くあったはずなのです。 万葉集には、「水無月の土さへ割けて照る日にも 我が袖乾めや君に逢はずして」とありますが、これなどこういう季節感にはぴったりだったのですね。 梅雨明けの暑いカラカラ天気にお百姓さんが水不足に悩むことが多かったのでしょう。水無月はまた、水悩月とも書きます。 今年の場合は、旧六月は7月12日から始まります。従って旧六月の前半は多分未だ梅雨の終わりのころで、時ならぬ豪雨に見舞われたりするかもしれません。その場合、水悩月と書く方が相応しいことにならないよう祈りたいものです。 さて、今月のトップページには、今までと趣向を変えてキビタキの写真を掲げました。これは、私の友人が自ら撮影して送ってくれたのを、トリミングしたものです。(鷲見君ありがとう。) キビタキは「黄鶲」と難しい漢字で書かれる夏鳥です。つまり、今頃の季節になると日本に渡ってきて、日本全国の明るい林に巣を作ります。キビタキは福島県の県の鳥にもなっているそうです。雄は美しい声で、コロコロと小さい玉を転がすような調子で囀ります。キビタキの鳴き方は随分多彩で他の鳥の鳴きまねまでするそうです。 漱石の句にはキビタキを詠んだものは無いので、トップページには夏鶯と時鳥を詠んだ句を掲げました。 時鳥の句は漱石の気骨を示すものとして有名ですね。時の宰相西園寺公望が当時の有名な文士を招いて懇親会を催そうとして、漱石先生にも招待状が届きました。それに対しての返事がこの詩だったのです。 今で言えば、由紀夫さんから招待状が届いたのに、「ちょうど便所に入っている最中なので行けません」と返事をするようなものですね。 尤も、本当はこんな単純なものじゃなくて、漢籍にある故事を引用したものだという説があり。そうだとすると漱石先生も中々意地悪なところもあったのでしょうね。

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