根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
第3回、第4回と中標津町のフットパスを歩いてきたので、今回は根室市厚床のフットパスを歩きながら、歴史に触れて行きましょう。
根室市にはいくつかのフットパスがあります。
難読地名シリーズ第41回では「別当賀」を紹介していましたが、今回は厚床のフットパスをご紹介します。
根室市史によると、厚床の語源はアイヌ語の「アツ・トク・ト・ペッ」=「オヒョウニレの生える沼川」が語源となるそうです。
「オヒョウ」はアイヌ語の「オピウ(樹皮)」からきていて、樹皮は「アットゥシ(樹皮衣)」の材料となっていました。アイヌの方々は厚床で樹皮衣の材料を調達していたかもしれませんね。
開拓の歴史に目を向けると、陸路の発達は遅かったようです。
明治19年(1886年) 北海道の3県(函館県、札幌県、根室県)を廃止し、北海道庁を設置した頃から道路整備が続けられていました。しかし、冬は積雪で埋まり、春は雪解けで泥に埋まりました。
そこで、陸路改善の解決策として鉄道が求められており、厚床はその要所となります。
では、伊藤牧場から出発です。
「牧場を抜けるフットパスのルート」
「殖民軌道・風連線跡」
殖民軌道・風連線は厚床-上風連を結ぶ全長16kmの路線です。
国鉄(現在のJR北海道)から離れていたために、地元の方の要望から、昭和13年(1938年)に敷設されました。他の殖民軌道が廃止される中、最後まで別海村営軌道により運営されていましたが、昭和46年(1971年)にこの軌道線も廃止されてしまいます。
さらにフットパスを進むと、厚床駅に出ます。
「厚床駅」
厚床駅は根室管内で最初にできた駅です。
明治40年(1907年)に函館-釧路間の省営鉄道(鉄道省が運営する鉄道。国鉄の前身です)が全線開通し、釧路-根室間の速やかな起工が切望されていました。
しかし、実際にはなかなか起工に至らず、大正時代に入り、ようやく敷設が始まります。
大正8年(1919年)11月25日、厚岸-厚床間が開業。
2年後の大正10年(1921年)8月5日に根室駅が開業するに至り、鉄道は「釧路線」から「根室線」に改称されます。
ところで、歴史探訪シリーズ第3回では、殖民軌道・根室線をご紹介しましたが、なぜこの路線が廃止されたかご存知ですか?
その理由は厚床駅構内にあります。
「標津線記念看板」
昭和9年(1934年)厚床-中標津を結ぶ省営鉄道「標津線」が開通します。
昭和12年(1937年)には、中標津-根室標津間と標茶-中標津も開通しました。そのため、標津線周辺の殖民軌道は姿を消していったのです。
その後、省営鉄道は日本国有鉄道が運営。昭和62年(1987年)に発足したJRグループが事業を継承します。
しかしながら、旅客の減少を食い止めることができず、平成元年(1989年)、地元の方に惜しまれつつ、標津線は廃線となりました。
「現在の標津線」
現在の標津線は、フットパスとして、往時が偲ばれるように再利用されています。
根室管内には、他にも標津線後のスポットがあります。
これらは、いつかご紹介いたしましょう。
「もの思いにふける丘」
最後に、「もの思いにふける丘」で当時に想いを馳せつつ、フットパスは終了です。
それでは、次回の更新で。
参考文献:根室市史
参考文献:北海道鉄道百年史
参考文献:北海道の鉄道(田中 和夫 著)
ここでヒストリー・ハンターからお知らせです。
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