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2014/01/21(火)20:01

ねむろのちょっと歴史たび第35回「弁天島遺跡」

根室(ねむろ)地域(336)

 根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。   古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。  わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?  先日、アザラシの話をOstrya japonicaさんがブログにアップしていましたが、その際、こんなことを訊かれました。 「オホーツク人って漁猟で暮らしているイメージありますけど、実際そのへんの証拠ってあるんですか?」 今回はその質問に応えるべく、第15回、第16回、第17回の舞台になった弁天島からオホーツク人の狩猟のお話をいたしましょう。現在の弁天島  根室湾の入り口に浮かぶ弁天島は、古くは大黒島(アイヌ語ではホロモシリ)と呼ばれていました。  江戸時代には、高田屋嘉兵衛が市杵島神社を創立していますが、人が住んでいたのはもっと古く、オホーツク文化の遺跡が確認されています。  昭和37年に行われた発掘調査では、竪穴式住居の骨塚の骨が分析され、ヒグマやエゾシカのほか、アザラシやクジラのものと思われる骨が含まれていることがわかっていますので(骨塚は住居の一隅に動物の骨が祀られたもので、アイヌ文化にも同様の風習があったようです)、海獣を狩っているオホーツク人というOstrya japonicaさんのイメージはあっていると言えます。中央:捕鯨彫刻図のある針入れ(レプリカ:北方民族博物館所蔵)  これは、昭和3年に北構保男氏が弁天島で発見した「捕鯨彫刻図」のある骨製針入れです。  少し図柄が見にくいので、羅臼町郷土資料館のパネルをお借りしましょう。捕鯨彫刻図説明パネル  左の舟に乗って銛を構えているのがオホーツク人のハンターで、右が獲物のクジラです。クジラには2本の銛先が刺さり、2本のロープが舟に伸びています。  これは、回転式離頭銛と呼ばれる銛が使われていると考えられています。回転式離頭銛  銛の先はロープでハンターの手元につながっています。 銛が獲物に刺さると、ハンターは思い切り手元のロープを引きます。すると、柄が外れ、銛先だけが獲物の体内で90度回転し、銛先が抜けにくくなり、獲物を逃さずに捕らえるのです。  オホーツク文化の後、根室での捕鯨は衰退します(一度だけ返り咲いたのは、大正年間。昆布盛に捕鯨場が設置され、賑わっていたそうです。もちろん、今では捕鯨は禁止されています)。   クジラたちは今でも根室に回遊し、羅臼町で夏季に行われるクルージングでは、高い確率で彼らに出会うことができます。  冬期である現在は、トドに出会うことができるそうです。 これをご覧の皆さんも、ぜひ、根室のクルージングに来てくださいね。 参考文献:北海道根室の先史遺跡(根室市教育委員会) 参考文献:日本の古代遺跡41「北海道II」(著 野村 崇) 参考文献:根室市歴史と自然の資料館たより「くるまいし」2008年7月No.23・根室市歴史と自然の資料館のHPはこちら・羅臼町郷土資料館とアーカイブの情報はこちらから・北方民族博物館のHPはこちら・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓ ・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓

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