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2018.12.15
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テーマ:岩手県央(589)
カテゴリ:歴史・文化・偉人
​​
あべっちです!ウィンク
藩政時代から明治後半の岩手県には、沿岸と内陸をつなぎ、
重要な経済交易を行った「塩の道」の歴史があります
​。

▲上の写真は、野田村三陸鉄道北リアス線十府ヶ浦海岸駅最寄りの、
国道45号海岸線沿いの駐車場より望んだ、
十府ヶ浦海岸です。


この「塩の道」​​野田村を出発、その道のりを数回に分けて
ご紹介していますのでこちらもご覧ください。

【県北】〔野田村〕「塩の道」沼宮内廻野田街道-その1
【県北】〔久慈市〕「塩の道」沼宮内廻野田街道-その2
【県北】〔久慈市〕「塩の道」沼宮内廻野田街道-その3

前回その3の到着地、葛巻町の「くずまきワイン」さんの工場から
出発
​「塩の道」最大の難所「黒森峠」を通り「吉ケ沢地区」を目指します。

ここ葛巻町は、馬淵川とその支流に臨む丘陵地で、縄文式土器が多数確認されていて、高度な文化生活が縄文期より行われていたことが想像されるそうです。
※詳しくは→​葛巻町HPの歴史・沿革より

​​
▲上の写真は、豊かな清水に恵まれた江刈川地区では、
​​​​現在でも水車で蕎麦の粉挽きをしています。
​​​
この水車小屋で挽いた蕎麦を食べたい方はこちら⇓
【県央】〔葛巻町〕「収穫の秋」2018年 新そばの季節

​​▲​上の写真は​​​、「塩の道」野田村から18ヶ所目の痕跡「くずまきワイン」さんの工場から約3kmの所、江刈川地区にある、​​平成27年6月に地元江刈川自治会によって復元された​​一里塚だそうです。岩手の民謡に「南部牛追い唄」がありますが、この牛方たちが唄った「江刈牛方節」が、元唄と言われているそうです。この塚の前を「江刈牛方節」を唄いながら​塩を運んでいたのでしょうね。​(2016年12月4日盛岡タイムス葛巻だより③高家貞範さんの記事 「塩の道と江刈川一里塚」より)

この地域を治めた「葛巻氏」は、1189年鎌倉時代初期「源頼朝」が行った、「奥州討伐」の功績により地頭職を与えられた「工藤氏」の末裔だった事により、後に1573年~1592年頃、この地方を収める事になったと言われ、「葛巻」の地名の由来にもなったようです

上の写真は、「くずまきワイン」さんから約10kmのところ、
国道281号葛巻町役場入口から約200m先の所にある、「葛巻八幡宮」参道入り口に「塩の道」野田村から19ヶ所目の痕跡がありました。当時の参道は「塩の道」の一部として使われていたようです。戦国時代に入り九戸政実の乱」(南部氏と九戸氏の争い)が起こり、「南部氏」に味方した「葛巻氏」は、その功績によって加増、現在の岩手町に移り、この地域「南部氏」が直轄する事になったそうです。「源氏の氏神」として祀られる「八幡宮」ですが、この「葛巻八幡宮」は「甲斐源氏」の流れを受け継ぐ「南部氏26代信直公」が、九戸政実の乱」鎮圧の後に建立したと言われているそうです。その後「南部藩」から分藩した「八戸南部氏」が明治の廃藩置県まで所有し、明治後期まで野田街道の宿場町として栄え、昭和30年7月15日に、岩手郡葛巻町、同江刈村、二戸郡田部村が」合併し、現在の葛巻町になったそうです。 

上の写真は、国道281号「くずまきワイン」さんから約14kmの所、「小屋ノ畑」地区に県道30号の入口があります。この先は右上の写真の表示通りに行き止まりになりますが、右折して進める所まで行きます。

県道30号に入ると大きく迂回するように廻り込みます。
道幅は狭く、民家すれすれに進むとすぐに左に曲がります。右上の写真、道なりに進みます。

県道30号入口の表示の予告通りに通行止めになっています。ここからが、「塩の道」沼宮内廻野田街道最大の難所と言われた黒森峠になります。

また、ここから先は「幻の県道」とも言われているそうです。反対側「吉ケ沢」地区へは徒歩で越えなければなりません。約6km(頂上付近まで2.5km)の登山道になっていて、ここに車を置いて登ると、また戻って来なければなりません。今回は一人で取材に来ているので断念し、次回準備をして計画的に望んでみたいと思っています。このルートが「登山情報サイト YAMAP(ヤマップ)」で紹介されていますので、参考までにご覧ください。→​幻の県道に挑戦 塩の道 岩手県葛巻町 黒森峠越え​
国道281号に戻り、
反対側「吉ケ沢」地区に回りお伝えします。

左上の写真は「小屋ノ畑」地区の入口より続く山道の「黒森峠」の頂上付近の様子です。右上の写真は頂上にある「塩の道」野田村から20ヶ所目の痕跡「黒森峠」頂上付近にあった標柱には「塩の道旧道入口」と書いてありました。

山道を登りきると、道が開けそこから林道が始まります。つまり、反対側から来ればここで行き止まりとなっています。この林道を「吉ケ沢」地区まで約3.5km進みます。

左上の写真、「塩の道」野田村から21ヶ所目の痕跡がありました。進行方向に向い左側「黒森峠」の頂上付近から林道沿いに約2.3kmの所になります。平成三年七月一日に葛巻町教育委員会が立てた、説明看板になります。内容は、「1854年に八戸南部藩の藩主『
部信順公』が参勤交代の為江戸に向う途中、一戸郷(一戸町)で水害に遭い、急遽道を変更し、伊保内(九戸村)・葛巻町を経由して沼宮内(岩手町)の奥州街道に入る道を通った。葛巻宿(葛巻町)をお昼頃出発し黒森峠を通過中に雨に降られ苦戦、沼宮内宿(岩手町)に着いたのが午前2時頃になった。」と説明しています。この説明看板が有る場所は、峠を越え休憩を取った場所と言われていて、それ以来この場所に排便など不浄な行為は禁止になったと古くから言い伝えられているそうです。林道より少し高い所にあるこの説明看板の後ろ側に、右上の写真の「塩の道旧道」が黒森峠の頂上付近まで約2kmほぼ直線に繫がっているようです。「塩の道旧道」は除草整備されいていました。次回はこちらの「塩の道旧道」を徒歩で通って見たいと思います。

21ヶ所目の痕跡から、約1.5kmの所で「吉ケ沢」地区の入口付近に出ました。
こちら側にも行き止まりの表示がありますが、奥に県道30号標識がしっかり立っています。ここから林道沿いに約3.8km先が行き止まりの「黒森峠」頂上付近「塩の道旧道入口」になります。まさに「幻の県道」でしたね!

「吉ケ沢」地区から入るには国道281号「道の駅くずまき高原」より「くずまき高原牧場」を横断する道を通り、県道30号に合流したら右折すると左手に「吉ケ沢小学校」が見えます。更に黒森峠方面に進むと左上の写真の表示が出てきます。国道4号方面からは、IGRいわて銀河鉄道奥中山高原駅近くの交差点から、県道30号に入り「吉ケ沢」地区黒森峠方面に進むと左上の写真の表示が出てきます。
それでは、
今回は一旦ここで終わりとし、県道30号を奥州街道(国道4号)方面に現在の「べご」(自動車)で盛岡に帰ります。

9月から取材を始めて、4回シリーズでご紹介した「塩の道」いかがだったでしょうか、この続きは来年はまたご紹介いたします。読者の皆さまもぜひ、「塩の道」を訪れてみて下さい。






最終更新日  2018.12.15 14:06:42
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