2011/05/22(日)19:08
秋元氏の墓
こんにちは
新人のケイです。
最近、気温の高い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしですか?
さて、前回、戦国時代の終わり頃、深谷城主上杉氏に仕えた秋元景朝・長朝父子について書きましたが、今回、その二人に関わるお寺に行ってきました
上柴町西にある元誉寺です。
立派な門が建っています。
私が小さい時は、お寺のすぐ近くに、お地蔵様と大きな桜の木があったのですが…。
今では、お地蔵様だけになってしまったみたいですね…
元誉寺は新義真言宗のお寺で、ご本尊は「十一面観世音菩薩」。
あの有名な京都の長谷寺をかたどった配置をしていると言われています。
鐘もありました
この元誉寺に「秋元氏の墓」があるのですが、このお墓も市指定史跡です。
お寺の外に看板が出ています。
これが「秋元氏の墓」です
お墓、とありますが、実際には「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と呼ばれる仏塔(供養塔)らしいですよ。
以前、チェ・ホサ氏が紹介していた供養塔(五輪塔)とは違う形の供養塔ですね。
前回ご紹介した市指定史跡「秋元氏陣屋跡」は秋元長朝のころ作られましたが、この元誉寺も長朝のころ建立されたそうです。
石碑にも書いてありました
もともとは「金燈籠山」(石碑には「鉄燈篭山」と書いてありますね)のふもとに元誉寺があったらしいのですが、長朝の息子の泰朝の時に、現在地に移され、増築されたとか。
ここで気になる「金燈籠山」ですが、これ、「秋元氏陣屋跡」のある辺りの場所をそう呼んでいたそうなんです
(前回の写真)
そういえば、日赤の方から「秋元氏陣屋跡」に向かって行く時、のぼり坂になっていたような…。
なんとなく、「山」っぽい雰囲気が漂っていますね。
この「金燈籠山」という呼び名は、世良田東照宮(群馬県太田市)に奉納する金燈籠を造って、しばらく置いておいた場所だったから、というのが由来だそうですよ
東照宮というと、徳川家康を祀った神社ですね。
地名からも秋元氏と徳川氏の関わりがちょっと見えてきて、面白いですね
この灯籠はいまでも世良田東照宮の拝殿の前に置かれているそうです(鉄灯籠、国指定重要文化財)。
さて、前回の続きですが……
この供養塔の主、秋元氏は、豊臣秀吉が亡くなったあとは徳川家康に仕えることになり、「関ヶ原の戦い」も経験することになります。
波瀾万丈ですね…
秋元氏は関ヶ原の戦いでも活躍!
家康が「東軍」、対するのが石田三成率いる「西軍」ですが、長朝は「東軍」の一員として、「西軍」の上杉景勝と交渉をして、その南下を防止する、という功をたてました
そして、家康から上野国惣社(群馬県前橋市)1万石をもらいます。
秋元氏は治水関係の工事が得意だったらしく、長朝は、惣社の地で「天狗岩用水」(天狗伝説が残っているそうです)を作ったり、新田開発を行ったりしました
そこに住む人々からもとても慕われていたと言われています
秋元氏の菩提寺も前橋市総社町にあり(光厳寺)、秋元家累代の墓もそこにあるそうです。
深谷生まれの人物の活躍した様子が、何百年もあとの現在まで、色々な地域に伝えられ続けている、というのはすごいことですね
深谷にはまだまだ史跡や神社仏閣等々、歴史に関わるものがたくさんあるので、次回以降も少しずつ、ご紹介できたらいいなと思っています。
では、また
参考
・深谷上杉・郷土史研究会編纂『深谷市の史跡案内』深谷上杉・郷土史研究会、2011年3月
・深谷上杉・郷土史研究会編纂『深谷市の神社と寺』深谷上杉・郷土史研究会、2011年3月
・深谷市ホームページ「深谷市の歴史と文化財」のページ: http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/web_rekisi_bunkazai/index.htm