カテゴリ:資料館
こんにちは、郷土資料館です。 仕事で出かけたり、休みの日にブラブラとあちこちを歩いていると、「ん?」と思うものにたくさん出合う。 大菩薩から三つ峠まで続く尾根を越えて大月から甲府へと抜けるルートといえば笹子峠越えがすぐに頭に浮かぶ。 これは、江戸時代に整備された甲州街道、そして明治以降の国道、鉄道、高速道路のイメージが強いからだ。 しかし、その笹子峠越えも1938年(昭和13年)に笹子隧道が開通し自動車での往来ができるようになるまでは、いくつかある峠越えルートの一つにしか過ぎない。 笹子を経由するルートとしては新田から鹿屋川を遡って摺鉢峠を越えて御坂に出るコース。 あるいは手前の白野から大鹿川を遡って大鹿峠を越えて大和に出るコースがある。 上の写真は、大鹿山中へと向かう大鹿林道の途中にある「田通乃姥神」だ。 以前に紹介した「道証地蔵」と「桜公園」の中間地点の東側路肩に置かれている。 石棒に赤い頭巾と前掛けらしきものがつけられて何かいわくありげに立っている。 ところが、近くに説明板らしきものは無く、どんないわれがあるのかがわからない。 で、いつものようにグーグル先生に聞いてみたところ、次のような返答があった。 「この林道が甲州街道の裏街道であった頃、地元の人や旅人が峠越えする際に無病息災を祈願した」 グーグル先生は出典を示さずに答えることが多い。 残念なことに、今回もやはりただ答えを示すだけだった。 しかたがないので自分で裏を取ることにする。 まずは、大月市内の石造物をほぼ網羅する『大月市の石造物』(1993年)で調べる。 掲載されている写真にはその後ろに説明板が写り込んでいるが、ごらんのように半分しか読めない。 それでも、「甲州街道の裏街道」「里人や行人」「無病息」という文字は読み取れる。 グーグル先生はおそらくこれを根拠にして回答したのだと思われる。 ただ、「産蚕」という字については触れていない。 次いで、定番の参考書である『甲斐国志』(1814年)で調べるが、「田通の姥神」なるものは見つからない。 最後に郷土史研究家の天野要氏が著した『故郷道中記笹子乃今昔』(1979年)、『原稿 笹子の歩み』(1985年)で調べる。 『今昔』には、「古時より田通の姥神様として、此の地の住人の無病息災お産の安産、豊作、感冒等々の衆人祈願のシンボルであった」とある。 また、『歩み』には、「道を通ると頭に真綿を巻き首に真綿の首輪を巻き子どもの百日せきと桑の病原の駆除を祈願し里人は之を信じその存在を認めてきた」とあった。 『石造物』にある「姥と産(うぶ)との関連も考えられる」との記述も合わせると、無病息災ばかりでなく、安産や豊作、さらには蚕の餌となる桑の健全な生育をも願ったようだ。 参考にした本はいずれも大月市立図書館に所蔵されている。 ぜひご一読あれ。 ※おまけ 文を書いていて気がついた。 この「姥神」は、その着けているものから「地蔵」であり、その位置と形状からして「道祖神」ではないかと。 う~ん、ちょっと無理があるかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年02月09日 09時01分03秒
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