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大月みどり

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2022年12月02日
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カテゴリ:資料館


こんにちは、資料館です。
11月26日(土)に当館主催の「郷土の歴探検ツアー」を実施しました。
今回は「秋の浅利と浅利に伝わる伝説の地を訪ねる」と題して、賑岡町の浅利地区と遅能戸地区を探検してきました。
その報告を兼ねて、浅利地区・遅能戸地区の見所を数回に分けて紹介していきます。

江戸時代後期の地誌『甲斐国志』(文化11(1814)年)【村里部】には浅利について次のように書かれています。

一高八拾七石四合
戸五拾八  口貮百七拾七〔男百四拾六・女百三拾壹〕
東ハツク坂ヲ限リ強瀬村ト堺シ夫ヨリ北ハ山嶺ヲ限リ畑倉ト堺シ西北ハ宮ノ澤、奥山川、奧山村西南ハサスヒラ嶺ヲ限リ花崎ト界シ南ハ桂川ヲ隔テ大月ニ對ス此村ハ相傳ヘテ浅利式部ト云者ノ領地ナリシト云又浅利與市ノ采地ナリシトモ云村居ヨリ西北ノ深渓ニ入ルコト半里許ニシテ奥山ノ支村ニヲソノヲトト云アリ
甲斐国志 巻之十九 村里部十六下
浅利の地名のおこりは、浅利氏の領地(=采地)だったことによるものかもしれないと書かれています。
浅利式部の「式部」は、式部省に務める職員の総称ですので、名前ではないので特定することができません。
とはいえ、武士の中には「百官名(ひゃっかんな)」として官職を名前として自称する者もいたので、一概に名前ではないと断定することもできませんが....。
一方、浅利與市については、同書の【人物部】には次の件(くだり)があることから、壇ノ浦の戦い(元暦 2(1185)年)で遠矢で名を揚げた、「源氏の三与一」のひとり浅利与一(与一は通称、名は義遠、義成とも)だということがわかります。

〔浅利冠者〕 大系圖ニ奈胡ノ次ニ列シ與一義成ニ作ル平家物語同之檀浦ニテ遠矢ノ事ヲ記シタリ(中略)
浅利庄ハ八代中郡ニ在リ(中略)
都留郡ニモ有浅利村與一義成云云ノ事ヲ伝ヘタリ是モ采邑ナランカ
甲斐国志 巻之九十五 人物部第四​

與市が與一となっていますが、同一人物です。
ちなみに「與」は「与」の異体字になります。
浅利与一の「遠矢」については​ここ​を読まれるとよいかと思います。
浅利式部・浅利与一の領地(=采地)があったという言伝えと、浅利式部を与一の嫡男浅利太郎(知義とも)とみなして、様々なストーリが生み出されています。

次回をお楽しみに。

※おまけ
予習しておきたい人は​​​​ここ​​​をクリックしてください。
参加者に渡したガイドブックのWeb版です。​





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最終更新日  2022年12月02日 11時54分08秒
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