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こんにちは。 今回は、実家のある岐阜県中津川市加子母(かしも)(旧加子母村)を題材にした加子母シリーズ第1弾「鶏ちゃん」,第2弾「トマトゼリー」に続く第3弾、「加子母の大杉」を中心に地域の歴史と伝承を紹介します。
解説が多くなりますがぜひ最後までお付き合いください。
【加子母の大杉】 今は保護のため柵で囲まれていますが、子供の頃は出入り可能で、大好きな遊び場でした。間近で見ると迫力ありますよ。 現地でよく見てもらうと、幹の太さに対して高さが足りていないことに気づくはずです。 実は昭和50年に避雷針設置等の保存工事をしたときに、幹先端を確認したら4平米程の平面で樹皮に覆われていたそうです。 どうやら大昔に落雷等により先端部分が折れてしまったようです。
【加子母大杉地蔵尊】 ご本尊は、奈良時代の高僧行基が開いた滋賀県の寺で安置されていたものを、廃寺等により平安末期になって紀成恒という信者が安置場所を求めて各地を旅した際、この地で急にご本尊が重くなり動けなくなったため、お堂を建てたのが始まりと言われます。
文覚上人は出家前の武士時代に、横恋慕した人妻を誤って斬り殺してしまったそうです、その袈裟御前の霊が、悔い改めた上人を慕い、ナメクジ(刀傷の模様があるといいます)となって「九万九千日」(旧暦7月9日:毎年日付が違います)の日に墓に表れると言われます。 子供の頃は恐る恐る夜中に墓を見に行きましたが、多い年は百匹を越えるナメクジが墓をはっていることもありました。
【乳子の池】 その昔、池のほとりで赤子を拾い乳に困った婦人が、地蔵様のお告げにより池に湧く清水を与えて育てたという言い伝えが広まり、乳の良く出る清水として参拝者が多くあったようです。
加子母に残る方言で、昔の人は石垣の事を「ついかけ」、転がり落ちることを「まう(舞う?)」といいますが、昔中学校の先生は、「これは当時の京言葉である。平家の落人がもたらした言葉ではないか。」とおっしゃってました。 また、鎌倉時代に関東の三浦一族が北条氏との争いに敗れ滅ぼされた後、逃げ延びた一派が、岐阜県側から峠を超えて長野県王滝村まで落ち延びたといわれ(今も三浦姓の集落に言い伝えられているそうです)、その途中で加子母の地に居付いたのが、加子母の三浦姓の祖であるという話も子供の頃に聞きました。
ご紹介したのはほんの一部ですので、まだまだ他にも大威徳寺の軍資金埋蔵伝説や安徳天皇のお墓伝説など、ミステリアスな伝承が色々ありますよ。 また、一つの伝承にも色々な説がありますので、ご紹介したものは代表的な一例です。 ぜひ、歴史と伝承の里「加子母」を訪れて、「加子母の大杉」を一度ご覧下さい。一見の価値はありますよ。これだけアクセスしやすい巨木はなかなかないでしょう。 大杉の麓には以前紹介した鶏ちゃん(けいちゃん)の名店「がやの木」(昼は持ち帰りのみ)や、五平餅とおみやげの「地蔵庵」もあります。
○周辺図
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Last updated
September 14, 2012 11:48:44 AM
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