中将姫誓願桜(ちゅうじょうひめせいがんざくら)
岐阜県岐阜市大洞にある願成寺(がんじょうじ)には、中将姫誓願桜(ちゅうじょうひめせいがんざくら)という桜があります。 この桜はヤマザクラの変種で、同種の桜は確認されていません。2008年にはその種子が、柳津の高桑星桜(たかくわほしざくら)とともに、宇宙旅行までしています。 この桜の樹齢は1,200年程度とされており、1929年には、国の天然記念物に指定されました。 平安時代初期に中将姫が病気の治癒をこの寺で祈り、平癒したためにこの桜を植えたという伝承があり、今でもこの桜に祈ると婦人病に霊験があるといわれています。 中将姫と姫にまつわる一連のお話は、世阿弥や近松門左衛門らによって脚色され、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎の題材となっており、大変に人気があったようです。 また、民俗学の巨匠、折口信夫の小説「死者の書」は奈良・当麻寺の曼荼羅にまつわる中将姫伝説に題材を得た小説でもあります。その中将姫のお話は以下のような感じです。 ~中将姫は、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成の、美しく聡明な姫で、幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられた。 中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかけるが、姫の殺害を命じられた者が、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろせず、「ひばり山」というところに置き去りにした。 姫は、その後、父・豊成と再会していったんは都に戻るものの、やがて当麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願う。 姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がり、これを用いて、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である。 そして姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったとされる。~ ところで、大洞地区の長良川を隔てた対岸の藍川地区にある延算寺東院は、地元では「かさがみさん」と呼ばれ、小野小町が天然痘を患って快癒したとされる霊水があり、また、ここよりさらに山を隔てたむこう側には、三田洞弘法として知られる法華寺があります。 延算寺本坊には、柳原白蓮の歌碑もあり、中将姫、小野小町、柳原白蓮という古今に名高い美女、才女に縁のある地が密集しているのはただごとではないように思えますね。 三田洞弘法、かさがみさん、中将姫請願桜と三つの霊験のある場所がほぼ一直線にならんでいるのは、単なる偶然なのでしょうか・・何かこのあたりには尋常でない霊気があるのかもしれませんね。