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昨日(7/15)、日本三大祭りである博多祇園山笠の追山(本番)があった。
山笠と呼ばれる1トンもある神輿を男衆が担いで5キロ走り抜くという祭りだ。 男衆は法被姿に、締め込み(ふんどし)姿。 締め込みに山笠を担ぐ時に使うナワを挟み込む。 そのナワがお尻や膝の裏に当って、そこが擦りむける。 走るのは、タイムトライアル。 5分おきに7つの山笠が出発し、3つの神社に奉納しながら、 博多の街を駆け抜ける。 しかも朝の5時。(一番山笠は正確に言うと4時59分) 走っている最中は、勢い水といって、沿道から大量の水が男衆にかけられる。 これがまた、朝焼けに水飛沫が映えて、美しい。鳥肌がたつ。 男衆はこの勢い水でさらにアドレナリンを増し、 「オイサー! オイサー!」の大きな掛け声で、自分の限界まで山笠を前に進める。 そんな山笠に、私は出ていた。 そして、今年も感動した。 終わった後、何度も何度も、こみ上げてくるものをこらえた。 最高である。山笠。 さて、この山笠、実は町の経済をうまく動かすシステムになっている。 山笠は町単位で参加する。 神輿を作るのにはお金がかかる。そのお金は、自分たちの町の職人に還元される。 法被や手拭い(ハチマキ)、かきナワなど、その年ごとに作る。 これもその費用が町の職人やお店に還元される。 それ以外、大道具、小道具、食事、ありとあらゆるものにお金がかかり、 俯瞰して見ると、一年の経済活動の大きな割合をこの約一ヶ月で動かすことになる。 それで町は活気づくのだ。 祭りは経済活動で活気づけてくれるばかりではなく、他の効果もある。 ひとつは、コミュニケーションだ。 時代が進むにつれ、近所とのコミュニケーションが減った。 祭りは、このコミュニケーションを一気に活性化してくれる。 しかも、同じ町に育った仲間とのコミュニケーションによって、 自分のアイデンティティのようなものを回復する感覚を得られる。 もうひとつは、教育だ。 祭りには、教育という側面がある。 安全に奉納できるように、厳しいルールや上下関係がある。 小さい子供は3歳くらいから、この祭りという教育に触れる。 自分の親からではなく、町全体から、規律や礼儀や優しさや助け合いを教わる。 子供はつらいがまっすぐ育つ。 大人は手本を示さなければならない。ますます大人になる。 こうして祭りは、ただ伝統を守るだけではなく、 ただ観光客を集めるだけではなく、 自分のアイデンティティ、町のアイデンティティのようなものを伝承し続け、 自分の生きている歓びを一年に一回、感動と共に教えてくれる。 山笠、最高! (私は地場の人間ではないのですが、人脈をたどって参加させていただいております) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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