テーマ:歴史を裏読み!(10)
カテゴリ:歴史を裏読みする!
「関が原の合戦寝返り4人衆」続いては小川祐忠さんの登場です!(笑)
まずは例によって、彼の簡単な経歴を調べてみましょう。 ・小川祐忠(1549?~1601) ・小川氏は代々近江に割拠した土豪らしい。 ・先祖は六角氏の家臣だったが、祐忠の代には浅井家家臣として小川城を預かっていた。 ・織田家と浅井・朝倉連合軍の戦いの後、織田信長に降服し織田家家臣となる。 ・本能寺の変の後、「山崎の合戦」では明智光秀に味方するも敗北。 ・明智家滅亡の後は柴田勝家に臣従する。 ・羽柴VS柴田の戦いで柴田家が滅亡後は秀吉家臣となり伊予今治7万石を領する。 ・関が原の合戦では西軍から東軍に寝返るも、戦後領地を没収される。 ・・・とまぁ、こんな感じです。 赤座直保と違いあまり怪しい点はありませんが、なんと言っても彼の場合運が悪すぎます!(笑)。代々近江に住んでいたのがいけなかったのでしょうか?浅井→織田の際も、単に近江の支配権が織田に移ったから。織田→明智も、本能寺の変直後の近江周辺で反明智色を打ち出した土豪などは100%確実に光秀軍によって蹂躙されちゃいますから、選択の余地はなかったでしょう。山崎の合戦後に、小川家が代々支配してきた地域は柴田勝家の養子である柴田勝豊の物となりましたから、そこでも否応無しに柴田側に・・・。さらには、羽柴vs柴田の際には秀吉の調略を受けた柴田勝豊が羽柴側に寝返っちゃいましたから、その家臣に過ぎない小川祐忠には、これまた選択の余地なく秀吉の軍門に下る事に。そして、関が原では背後の小早川秀秋率いる16,000人もの大軍が西軍から東軍に寝返って背後から迫ってきた訳ですから、ここでもまた定番の「選択の余地なし!」。 そうそう、あまり知られていませんが秀吉vs家康の「小牧・長久手の合戦」の際にも、彼はしっかり豊臣秀次の下で家康軍と戦い見事ボロボロに負けると言う、彼の経歴にまた一つ花を添える華々しい(笑)出来事を経験してます。もっとも、これだって別に彼が悪かった訳ではなく、その時の主力級の武将たちの判断の拙さが原因な訳ですからかわいそうなもんです。 この小川祐忠って人は前世でよっぽど酷い行いでもしちゃったんでしょうか?ここまで運がないと言うか自分の意思とは関係なく周囲に翻弄される人も珍しいんじゃないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/03/26 12:22:40 PM
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