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カテゴリ:まち探検レポート
日本電気(NEC)の跡地。 こんなところに?という場所に、営業面積93000平米の 「ららぽーと横浜」がオープン。 http://yokohama.lalaport.jp/ 緑豊かなセントラルガーデン、緩やかなカーブのモール、 3つの広場(コート)等、広さを感じさせない仕掛けがある。 さて、「ららぽーと」といえば<船橋> (現「ららぽーとTOKYO-BAY」)が始まり。 しかし、なんで巨大ショッピングセンターが<船橋>に? という疑問が湧いた。 ←その前身は1955年オープンの温泉・娯楽施設の 「船橋ヘルスセンター」だった。 では、なんで<船橋>に温泉が?と思って調べると… ←1952年、天然ガスを採掘したら温泉が出た。 そこで観光施設を作ろうと考えた。 (後に地盤沈下の原因となり、ガス採掘禁止… これがヘルスセンター閉鎖の原因となる。) 南関東、特に<千葉>の地下は天然ガスが豊富で、 ガス採掘ブームも起こっていた。 しかし、戦後の船橋市は工場誘致のための埋立事業も 資金が続かず財政難。 そこで、地方競馬政策や戦後復興策で 「川崎競馬場」運営を成功させていた、 読売の正力松太郎に依頼。 1952年「船橋競馬場」建設、その利益でガスを掘った。 (ゆえに現在も「川崎競馬場」「船橋競馬場」は共に 「よみうりランド」の運営である。なるほど^^;) ならば、なんで競馬が?と思って調べると…^^; ←そもそも、日清日露(1894,1904)戦争で、 速く走る軍馬の必要性を感じた日本は、 国を挙げて軍馬の育成環境を整え、 1905年頃から全国に競馬会・競馬場ができた。 中でも千葉には多くの競馬場が造られた。 でも、なんで<千葉>に競馬場が?と思って調べると…^^;; ←戦国~江戸時代、軍馬育成のために江戸に近い千葉には 多くの牧場が作られた。 土地が乾燥したローム層、平坦で起伏が少ない地形が 牧場や競馬場に適したか。 (<千葉>は、県境に山がなく、500m以上の標高点が存在しない 日本唯一の県である。) <船橋>にそんな歴史があるとは知らず^^;;; 改めて東京湾の地図を調べると… ←船橋という土地は東京湾の一番奥にあって現在でも漁業が盛ん。 成田山新勝寺、佐倉、千葉の各方面への分岐点で、 現在でも交通・鉄道の拠点... 家康が東金の鷹狩の際に宿泊所にした船橋御殿(現・船橋東照宮) 漁民の信仰を集めた太陽神「大日神=意富比(おおひ)神」の 現・船橋大神宮... 門前町、宿場町として賑わいのある町だったことが見えてくる。 広大な牧場は敗戦後には必要なくなり、 明治時代に農地などに開墾されていく。 その開墾の順序(1~13)が現在の地名に残っているのがスゴい! (初富 二和 三咲 豊四季 五香 六実 七栄 八街 九美上 十倉 十余一 十余 十余三) また、広大な牧場跡地に成田空港やカントリークラブ、 大学などが次々と造られていく。 人の足が「馬」から「車」に変わり、 「跡地」が時代の要求に応えて形を見せる。 「跡地」の開発にも、そんな時代の証、標を残して欲しい... ★ららぽーと★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 9, 2008 05:18:11 PM
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