年賀状遅れている方いませんか?と連載第3回 【マダムトモコという女】
年賀状遅れていませんか?我が家は世田谷郵便局に30日日中目黒中央郵便局に30日14時30ごろ投函しましたがいまだに到着せずと、関係各所から苦情がありました独自調査の結果世田谷郵便局分は元旦に届いており目黒中央郵便局のほうがわけわからない状況らしいです。「これは事故じゃないんですか?」と聞いたのですが、微妙な態度、目上の方とかにも出しているのでいまさらついても・・・・。郵政公社のCMで「あいつ、あとだし・・・。」というのがあありましたが、まさに、そんな風に思われちゃあとってもつらいんですけど、、、、。母という女弊社の社名、マダムトモコは私の母渡辺友子の名前であります。彼女は昭和22年いわゆる団塊の世代に生まれ、小学校は二部制で何をするでも、「ベビーブーム」なんていわれていた時代にうまれた。少女時代は戦後の物不足の時代であり、母と兄、姉、祖母(私にとっては曾祖母)との暮らしは楽なものではなかった。おまけに体が弱く、青白い顔をして室内でお人形遊びをする毎日だった。そしてこのお人形遊びこそが、彼女の洋裁人生への道を開拓させた。働く母にかわり、彼女を育てたのは祖母だった。人形の服を作ると祖母が褒めてくれた。母にとって祖母はカリスマだったらしい。裕福な家庭にそだった祖母は、学もあり、いつも身なりをきちんとしていて、美しかった。(本当のところはわからない)身体も弱く、他の子供のように原っぱを駆けて遊ぶこともできない退屈な日々を祖母の褒め言葉により潤されていたのである。祖母の褒め言葉を心の拠り所として、人形の服を作りまくった。また、人形に上等な洋服を作り与えることで、非現実の世界に自分の身を置き、裕福なお嬢様生活に思いを託していた。ギャザーの沢山入ったちょうちんのようなスカート、ヨーロッパの貴族のようなドレス。視覚に入った憧れを再現することで幸福を味わっていたに違いない。テレビや書物を通してしか味わえない非現実を人形の世界で作ることで、ひと時の幸福感を味わっていたのだと思う。やがて人形では飽き足らず、自分もおしゃれをしたくなった。高校生になった頃より自分の服をつくり、自分自身を装うために独学で洋裁を習得した。独学の仕方がすごかった。家にあるいらなくなったジャケットやブラウスを解体してパーツに分けパターンのなぞを解明し、応用したり、補正したりを繰り返しながら習得した。「裏つきのジャケットができたときは本当にうれしかった。」と記者に話していた。最初から才能が在ったかどうか、私の知るところではないが、きっと自分を美しくすること、祖母に褒められることを糧に大変な努力をしてきたのだと思う。