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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【7月5日・日曜日】 23歳の若い友人セリムが、私の携帯にメッセージを打ってきたのはおととい(金曜)の晩らしかった。 土曜日の朝それに気づいて読んでみると、結婚式への招待である。ところが日付が書かれていなかった。 2~3週間先の話だと思って、夕方セリムに電話して聞いて見ると、明日の日曜日だと言うではないか。 「ヒィー、そんな大事なこと、もっと早く知らせなよ!」 慌てて腕時計を見ると間もなく6時になろうとしている。カパル・チャルシュ(グランド・バザール)は7時で閉まってしまう。日曜日は休みだし、お祝い用の金貨をすぐに買いに行かねば! 大急ぎでマカロニを煮て外猫の餌を作り、外出の支度をしてタクシーも頼んでから裏庭に行ったら、なんと餌場にアトムがひょろひょろやってきた。 オズギュル先生のところはもう駄目だが、今捕まえればジハンギルのファトマ先生に見て貰える。だが金貨は買いに行けなくなるのだ。どうしようかと迷ったが、表で待っているタクシーがプーッとクラクションを鳴らしたので決まった! 金貨は明日どうしても必要なのである。だが明日では買えないのである。 かくてカパル・チャルシュのいつも買う金貨の店がちょうど閉まったところに到着、再び開けて貰って小さなチェイレッキ(クォーター=4分の1)の金貨を76リラで購入することが出来た。 帰りはトラムワイでタキシム広場を経由して戻ったが、裏庭にアトムの姿はすでになかった。 セリムの結婚式は、カスムパシャという地区で夕方6時半から行われ、私がタクシーで到着すると間もなく、クラクションを鳴らしっぱなしのコンボイ(車列)がやってきて、花とリボンで飾り立てた黒い大きなベンツの「ヴィトー」に乗って、セリムが赤いベールを被った花嫁と共に到着した。 新郎新婦を乗せた車到着 赤いベールの花嫁ジェミレとセリム セリムとは2005年の2月に知り合った。当時19歳。テレビ番組の事前調査で出歩いていた私が、3~4人組の窃盗団に襲われ、鞄を強奪されたとき、その鞄を友人と共に見つけ、電話をかけてきてくれたのだった。 郷里のマルディン(トルコ南東部)から兄達と共にイスタンブールに移住して、テキスタイルの工場を経営する兄と、マーケットを経営する兄の双方を手伝いながら、遊び好きな都会の若者に毒されることもなく、こつこつと結婚資金をためていたまじめな青年である。 私は窃盗団に襲われて現金や時計など失くしてしまったが、代わりに正直者で気のいい友人を得ることが出来たのだった。 マルディン地方の風習に従って、男女別々に祝宴が設けられ、私は花嫁の家族と一緒に宴席に連なった。女性のサロンには、私と子供以外はほぼ全員が御高祖頭巾。色とりどりのスカーフ見本市のよう。カパル(女性の髪をスカーフですっぽり包む宗教色の濃い人々)の家系なのである。 花嫁のジェミレは、男子3人、女子8人の11人兄弟だそうだ。下から二番目の娘、高校生のファディレがずっと私の話し相手を勤めてくれた。 花嫁は花婿と別々に女性側の宴席でお祝いする。 人懐こい高校生のファディレは花嫁の妹。 まずは水やコーラなど飲み物が振舞われ、甘いパイ菓子バクラバが振舞われた。その間に男性側のサロンでは、イマーム(僧侶)がクルアーン(コーラン)を朗誦、説教が長々と続いている。 これは幾つかの大きなテレビ画面で女性側のサロンにも映像が映し出されている。最後にみんなでドゥア(祈り)を捧げ、食事が配られ始めた。 ご馳走が振舞われる。 パン、牛肉と野菜の煮込み、チキンスープで炊き上げた、ノフット(ひよこ豆)入りのピラフが振舞われ、そのあと「タク」(お祝いをリボンにつける)の儀式に移った。 女性側のサロンでは花嫁がタクを受け、新郎側の招待客である私でも、女なので男性のサロンには入れない。 昨日あたふたと買ってきた青いリボンのついた金貨は、セリムにつけてやるつもりだったのだが、仕方なく花嫁のリボンにつけて祝った。 セリム用のお祝いの金貨を花嫁に 新郎新婦に挟まれて私も幸せな気持ちに 最後の最後になって、セリムが登場、おおいに照れながら花嫁の脇に立った。目鼻立ちのくっきりした美人の花嫁とは親戚に当たるのだそうだ。 去年の秋婚約して、今日は華燭の典。まじめな若者の築く家庭が末長く幸せでありますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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