madamkaseのトルコ行進曲

2014/03/18(火)16:36

「手紙」 パート3

日本を思う/日本にいる人々を思う(128)

【3月16日・日曜日】  怜君のお父さんとお母さんの参加しているグループが1週間のアナドル・トゥル(アナトリア・ツアー)を終わって、昨夜旧市街の五つ星ホテルに宿泊、今朝、私は9時の約束でお2人に会いに行った。  夕べは満月とみまごう十三夜の月が煌々と照っていたが、今朝目覚めた6時頃は、どんよりと曇ってしまっていた。昨日の夕方干した洗濯物を取り込み、ほぼ乾いてはいたが、東の寝室のカロリフェル(蛇腹式温水暖房機)の前にひろげて、猫達の朝食であるキャットフードを皿に盛ってやっているうちに、タクタキ坂の道路が濡れてきたのを見た。おお、何といいタイミング、前夜から干してあった洗濯物を濡らさずに済んだ。  8時45分に家を出て、ホテルの玄関前でタクシーを下りた。幅広い半円形のバサマック(階段)を上ると大きな回転扉がある。そこは、1988年7月の、ボスポラス海峡第二大橋(正式名ファーティヒ・スルタン・メフメット大橋)の開通式の参加者500人余りが、新市街・旧市街の幾つかの五つ星ホテルに分泊した際、うちの娘の含まれる班の人々が泊まったホテルだった。  当時ここはラマダという名門のホテル・チェーンの経営になる豪華ホテルの一つだった。イスタンブールに、五つ星ホテルそのものが極端に少なかった時代である。  その後、経営母体が代わり、しばらくはメリット・アンティーク・ホテルと名乗っていたが、一時全面的に閉鎖されて夜も明かりの灯らない寂しい時代があった。  何年か前からホテル・クラウンプラザというアメリカ系の経営で再開されて、五つ星の風格を取り戻し現在にいたっている。  久々に訪れたそのホテルの中に入ると、更に何段かのバサマックの上にロビーがあって、池畑さん夫妻はそこのクラシックな造りの長椅子に腰かけて私を待っていてくれた。  「やあ、やあ、よく来てくださいました!」とまずお父さんが気付いて立ち上がり、私の手をしっかりと握りしめてくれた。続いてお母さんも・・・。私達は、2001年の5月に私が池畑家を訪問した時以来の出会いなのだった。  挨拶が済むと、朝食サロンに場所を移しビュッフェから思い思いのものを皿に盛り、向かい合って座った。  2回取りに行くのは嫌なので、食べたいものを全部盛り合わせてきたら、お母さんの久美子さんもお父さんの悟さんも、え、これが朝食?というくらい少なめで、ハムやサラダや果物程度しか取っていない。  「あらら~、大食らいなのが分かってしまった~」と内心大いに恥じながら返しに行くわけにもいかないので、話をしながら結局は全部きれいに平らげてしまった。  去年の9月、カッパドキアで日本の女子大生2人が不運な目に遭い、事件のあと、民放の報道番組で私がコメントを求められたとき、「現地コーディネーター 加瀬由美子さん」と画面に字幕が出たそうで、たまたま見ていたお2人は、私がまだトルコにいるのを知り、きっとトルコに旅行しようと話し合ったそうである。  お母さんの話では、怜君はわが家に数日泊まって、犬の散歩を任されたことをたいそう喜んでいたそうで、ビクターを連れていると、街のいろいろな人に声をかけられ、すっかりその街で暮らしているような気持ちになれて、得難い体験をした、と語っていたと言う。  私が彼をビュユック・アダに誘って一緒に行った話をしたら、ご両親は「いつかその島にも行ってみたいです」と膝を乗り出した。お父さんもお母さんも、トルコ旅行中、つい行く先々で怜君の面影を探してしまったようである。  怜君の結婚生活も4年そこそこ、2児をもうけたものの、心疾患のため、ある朝突然30歳の短い一生を閉じてしまったと言う彼の話を聞いては私も辛かった。  でも残されたリカコさんは気丈に2人の子供を育て上げ、もともと資格を持っていたので今は保育士として働いているのだそうだ。  人それぞれの人生がある。私も若い頃は大いに苦悩したものだったが、与えられた運命を呪うことなく、なんとかこれまで生きてきた。今月下旬の誕生日には71歳を迎えるが、もうじきお迎えが来そうだ、と感じるようになったら「自分らしい、とてもいい人生だった」と言えるようになりたい。    メヴラーナの教えの中に、「人は何を望もうと、それなのだよ」という言葉がある。以前にも一度書いたことがあるが、この意味はこう解釈すればいいのではないだろうか。  人は小さな幸せでも幸せと思えば幸せ。  不幸だ、不幸だと嘆いていれば不幸。 池畑怜君のお父さん、悟氏とお母さん、久美子さん ホテル・ロビーにて   ガイドのビラルさんと、久美子さん  私に会いたいと言ってくれる人がいるのは、幸せなことだ。2時間弱、池畑さん夫妻とは、互いにいろいろな話をしたり、聞かせて貰ったりした。ガイドのビラルさんも、レストランで一足違いだったことを知り、旅行中とても親切にしてくださった、とお母さんが嬉しそうに言った。ありがとうございます、ビラルさん。  11時にグループの皆さんが集合、私は幸せをもたらしてくれた池畑さん夫妻と、グループの皆さんがバスで出発するのを見送り、自分も早く家に戻って、日本にいるリカコさんや、幾人か無事に会えたかどうかを案じてくれた友人達に電話をしようと、タクシーを拾って戻ってきたのだった。     madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)                       「チュクルジュマ猫会」  

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