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カテゴリ:イスタンブール新発見/再発見
【9月5日・金曜日】 土曜日の午後帰国する伊久子さんは、夕べ「明日はどうするの?」と聞いた私に答えた。 「もし行かれたら、日帰りで行かれるビュユック・アダに行ってみたいと思うんですけど・・・」 「あら、じゃあ、朝のうちから出た方がいいわね」 マルマラ海には金角湾のほかに反対側の東の方に100キロ近く切れ込んだイズミット湾がある。その入り口近辺には、7つ8つの島が互いに隣り合っていて、アジア側の陸地に向かいあっているのだった。イスタンブール市民のまたとないリゾート地である。 私も同行することになり、翌朝早めに起きて、夕べの残りのイワシの天ぷらを煮たり、生姜煮を温めたり、ホウレン草のおひたしを出したりして朝食を整えた。 朝食はほとんどが夕べのハムシづくしの残りを煮たりしたものです。 タマオ~、これは夕べ検査済みだから大丈夫だよ。 ところが、9時過ぎから突然の雨、小一時間も降ったりやんだりしながら結構雨脚も強いのだった。12時くらいにやっと上がり、 「どうする、少し遅くなったけど行く?」 「ええ、えええと・・・」 伊久子さんが決めかねているので「とにかくカバタシュ埠頭まで行ってみよう。行ってちょうどいい船がないとか、また雨が降って来るようだったらあきらめるし、ねっ! じゃ、おにぎり作るからね」 「・・・はい、じゃあ」 かくてタクシーを呼びカバタシュ埠頭まで駆け付けたのが13時20分。あいにく、アダラル(島嶼)行きは10分前に出てしまい、次の便は15時だった。それだと終点のビュユック・アダに着くのは16時35分頃なので、猫に餌をやることを考えると島には1時間程度しかいられないのだった。 「ボスタンジュー! ボスタンジュー!」 船着き場の入り口で、先ほどからしきりに叫んでいる男がいるので、「あれは何? ドルムシュの呼び込みみたいだね。ボスタンジュに行くと何かあるわけ? ちょっと聞いてみるわね」 聞いてみた結果、もう、すぐに乗ってしまいました。こんな手があったんだ~。 1分後にもう私達は、1人10リラずつ払って、1時45分発のボスタンジュ行きミニビュス(マイクロバス)に乗っていた。昼間で空いている道路をひた走ってボスポラス大橋を通り、アジア側の港町ボスタンジュまで陸路20分で着いてしまうという新発見コース。 2時5分に船着き場に横付けされたバスから降りると、目の前にビュユック・アダ行きのかなり大きなモトール(重油で動く船)が待っていて、10分後には出発すると言う。 連絡船の料金は5リラ。アクビルやイスタンブール・カルトが使えるのだった。あとあとたくさんの人がこのモトールに乗り込んできて、2時15分、船はバックしながら動き出した。 モトールとはいえ、かなり大きな船です。30分ごとにアダ(島)と連絡しています。 港の入り口にはためくトルコの月星旗 港を出ました。一路ビュユック・アダに向かいます。 船旅は快適です。ビュユック・アダに行きたい願いがかないました。 船が沖の方に出た頃、緑色のTシャツを着たお兄さんがデッキに大きなプラスチックのゴミ箱と野菜の沢山入った袋を持ってきて、客席の中央列のあたりで「皆さま、本日は船旅をお楽しみのところをお邪魔します」といきなり口上を述べながら、野菜剥き器を取り出してスイスイと小気味よくキュウリの皮をむいて見せた。 トルコの人は船で(あるいは大道で)口上を述べながら物を売る「セイヤール・サトジュ」が大好きで、これが結構よく売れるのだ。私は伊久子さんに一人が買うと必ずあとあと釣られて買う人が出て、買わなきゃ損、損、みたいな気になるので、たちまちのうちに結構な商売になることを説明した。 調子よく立て板に水を流すなめらかさで口上を披露する皮むき器瓜のお兄さん それを眺めていると退屈する間もなく、35分の船旅で目的地のビュユック・アダに到着した。そのときちょうど、私達が時刻表を知らないために乗り逃がした13時10分カバタシュ発の、市営の連絡船らしいヴァプル(蒸気船)が市営の船着き場に横付けになるところだった。 時計を見ると3時7~8分前。もしあのままカバタシュで待っていたら、これから船が出港するわけで、とっさの判断が功を奏して、陸路で来たため1時間半稼いだということになる。しかも帰りも明るいうちに戻れそうだ。 私達はボスタンジュからマーヴィ・マルマラという民間会社の連絡船でやってきたので、帰りのカバタシュ行きについて調べると、同じ会社の船で17時発なら1時間半後にはもうカバタシュ、そのまま家に戻れば暗くなる前に外猫達に餌を配れる勘定である。市営の方はもっと遅くなるのだった。 「やったね~、伊久子さん、2時間くらい遊べるわ。島の頂上まで上る時間はないけど、馬車で短いツアーなら出来ると思うわ」 「ああ、そうですか。じゃあ、来てよかったです」 船着き場から100メートルほど坂を上ると、小さな時計塔の広場がある。見事なブーゲンビレアがさすがに盛りを過ぎてはいたが、まだ赤紫の色を残して記念撮影にはちょうど良かった。 初めて来たのは1994年。島の頂上のキリセ(教会)も登れたのに・・・ 伊久子さん。半ばあきらめたビュユック・アダ行き実現です。 ビュユック・アダを始め、ヘイべリ・アダ、ブルガス・アダス、クナル・アダなどでは警察・消防・塵芥収集などの公用車、特別に必要とされて許可を得た車以外は走れない。交通手段はファイトンと呼ばれる2頭立ての馬車とか、自転車なのだった。 広場の奥にファイトン乗り場があり、そこで順番を待っているとあとあと空車が来るので、私達もじきに乗ることが出来た。ショートコース・ツアー(70トルコリラ)をして貰うことにした。 50分で、島の西側にある頂上に上る広場まで行き、その手前で5~10分の休憩をする。松林の中にある茶屋のテーブルの一つに腰を下ろし、ファイトンジュ(御者)にも声をかけて一緒にチャイを飲んだ。私達はその席で、持参のおにぎり弁当を広げ、5分では無理なので休憩を少し長くして貰って食べた。 元気な人々は歩きで山の頂上を目指しています。島にはギリシャ風の家々が・・・ 松林の中の休憩所、日陰で涼しい。明日は土曜日なのでもっと混むでしょう。 お弁当を広げます。梅干しと生姜煮のハムシが中味、おかずはゲソの塩焼きです。 おにぎり弁当、最高! 思わず顔がほころんでしまいます。うま~い、自画自賛。 日焼けした顔に深いしわの刻まれたファイトンジュのハッサンさんは口数も少なく、55歳だそうだが、5歳頃からやはり御者だった父親の膝に抱かれて手綱さばきを覚えたのだそうだ。 「だから経験50年だよ」と彼、ハッサンさんはほんの少し片頬に笑みを浮かべて言った。 「あの馬達は何歳くらい?」 「6~7歳、くらいなとこかね・・・」 私は2002年の夏、日本から来た友人を案内してビュユック・アダに来たとき、ファイトンに乗ったのが最後で、もう12年ほど全く島にも来ていなかった。 島へ客なり友人なりを案内すれば、否応なくファイトンに乗らなければ島めぐりは出来ない。やせ馬が鞭で叩かれながら息を切らして急な島の坂道を上って行くのを見るのがしみじみ可哀想で、それ以来誰も案内していないし、自分でも行かなくなったのだった。 おにぎりを食べた後、ハッサンさんのファイトンは馬を交替させる時刻だったので、広場の少し先で待っている厩舎の若者達のところに行った。前の馬よりずっと若そうな、元気のいい馬が2頭付けられた。 馬が交替しました。右の馬は名前が「サルクズ」黄色い娘。 薄い栗毛の馬体、たて髪と尾は金髪でふっくらきれいです。 いよいよまた時計の広場のそばまで戻ります。 お世話になったハッサンさん。無口だけど優しい人でした。 伊久子さんと私はやっとホッとした。私もファイトンに乗りたくないためにビュユック・アダに長らく来なかったのだが、まあ、私の方ももういつまた自分の足で元気に来られるかどうかわからないので、今日、伊久子さんの付き添いみたいな顔でやって来て、本当によかったと思った。つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年09月08日 23時33分04秒
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