2014/11/11(火)23:51
岡崎さん夫妻の歓迎会の夜
【11月7日・金曜日】
友人のショウコさんは、島根県益田市の自動車学校に勤務していたときに、いまわが家に滞在中の岡崎伸也さんがかつて郷里で経営していた「異国カフェ・ジャン」の常連さんだったそうな。
その縁で彼女がイスタンブールに語学留学するときに、岡崎さんがショウコさんに、イスタンブールに行くなら、まずは加瀬さんを訪ねてご覧、きっといろいろ協力してくれるよ、と紹介したのである。
それから4年半、岡崎さんが結婚して、新婦と共にトルコの郷土料理を探求する旅の途中、イスタンブールのわが家に滞在していることを知ったので、陽子さんが一時帰国から戻った6日に、ショウコさんが夫妻とぜひ会いたいと電話をかけてきたので、私は彼女とタマヨさんを本日の夕食に招待したのだった。
タマヨさんも先月25日(土)に、わが家を訪問してくれたときに、岡崎さんとすっかり意気投合、陽子さんが戻って来た時お会い出来るといいですね、と言っていたのを思い出し、私がショウコさんも来ることを連絡したところ、締め切りの迫った翻訳仕事の都合を付けて参加してくれたのだった。
私は今夜こそ、若夫婦にゆっくり休んで貰うために、午後から2人が外出した後、「シャカリキ」になって、「ドーゼル・ギビ(ブルドーザーのように)」自分の部屋を片付け始めたが、途中何度も挫折しそうになった。余りに無秩序に物が積み重なって、それが猫のせいで全部ひっくり返ったり床に落ちてしまったりしているからだ。
立ったりしゃがんだり中腰で歩いたりという、片付け物や掃除の時の動きが、当然のことながら若い時のようにスイスイこなせないので、やたらに疲れるのだった。
汗びっしょりになって、開かずの間を塞いでしまっていた大きな紙袋、布袋、段ボール箱、衣類の入った箱だ、籠だという、ゴミ屋敷予備軍を構成している品々をサロンに運び出し、ダブルベッドの上をめちゃくちゃな状態で占領していた衣類の山を、幾つもの大きめな袋に手当たり次第詰め込んで、サロンの本棚の前に順に並べて行った。
ようやく夕方、ガラクタに埋もれて見えなかった掛け布団の一部が現れ、徐々に片付いてきたのが(サロンに移動させただけにしても)感じられたので、あとはまた来客が帰ったあと、ということにして、食事の支度に取り掛かった。
でもその前に、猫達の餌やりがある。急いで餌バケツに缶詰肉とパン粥をまぜた外猫達の夕飯を配りに出ると、まずはショウコさんが早めに到着、続いて岡崎夫妻が戻ってきた。
昼食のあと、今日の晩餐は鶏鍋にしようね、と岡崎さんに言うと、彼は「チキンの挽き肉があれば、つくね団子にしたらどうでしょう」と提案した。
トルコでは鶏の挽き肉は料理としてあまり需要がないので、私はオスマンに頼んでちょっと遠いがボアズケセン通りの鶏肉屋まで買いに行って貰ったのだった。
岡崎さんとショウコさんも久々の再会だったため話がはずんでいるので、陽子さんが台所で料理の準備を始めた私を手伝いに来てくれた。5人分となれば野菜の量も半端でないし、陽子さんに玉ねぎや大根の皮を剥いたりして貰っただけでも大いに助かった。
わが家に来るとき、ショウコさんと岡崎さんがビールを、タマヨさんがデザートのパン・ケーキやクッキーを買ってきてくれたので、鍋を囲むテーブルの上は極めて賑やかだった。
ショウコさんのように普段は離れていても、少しの余暇を見つけて会いに来てくれる旧友の存在は、岡崎さんにとってたいそう嬉しいものに違いない。私も微力ながら彼の旧友を私がもてなしてあげられれば、とわが家でプチ・パーティを開いたのだった。
いろいろと野菜を刻みました。タマオは任務に忠実に検査しています。クンクン。
食べる前にみんなで乾杯、ショウコさんと岡崎さんは5年ぶり?
新婚と言っても7ヵ月余り経過している岡崎夫妻。まだまだ旅は続くのでしょうか。
ショウコさんとタマヨさんもわが家で知り合いました。友達の輪はどこまで広がる?
ああん、僕の座る場所が全然ないや~
鍋ものはこじんまりとした宴会にもってこい。楽しく語らい、笑いさざめきながら時の立つのも忘れ、いつか10時半になろうとしている頃、アジア側に帰るタマヨさんの足がなくならないうちに、とお開きにして、また再会を約してショウコさん、タマヨさんを見送った。
若夫婦が台所で皿小鉢を洗ってくれている間に私はまた開かずの間に戻った。もう、65年くらい前に見た祖母の姿にそっくりになって、腰を曲げたまま馬力の悪いブルドーザーのように、必死なのにテレテレしか清掃の進まない部屋で奮闘する。
小部屋の方でじっと大部屋が片づくのを待っている夫婦のためにも頑張らざるを得ず、ついに一念岩をも通す、かのように12時頃、最後の段階を迎え、洗ったばかりのシーツや肌がけでベッドメイクが終了した。
とっておきのウズベキスタンのスザーニ(手刺しの刺繍)のベッドカバーできれいに布団の上を覆い、「今夜も駄目なんじゃないだろうか」と不安いっぱいで待機している2人を呼びに行った。
「お待ち遠おさま~、とうとうあなた方の寝室が出来上がったよ、ごめんね~、今頃になって~」
彼らと私は、夜中に住民交換のギリシャ人とトルコ人のように住む部屋を取り替え、それぞれの荷物も運びこんで、やっと約束のイスタンブールのお宿を提供することが出来たのだった。
カチカチ山のタヌキ同様、おしりに火がついてやっと自分の部屋の清掃がかなった私、それでもたった2日間で、それも48時間ではなく、合計すればほんの数時間で、こうしてそこらのホテルよりよっぽどきれいなベッドに、新婚さんを泊めてあげられるまでに清掃し遂げたことで、久々に大いに自信を取り戻した。
かくてやっとイスタンブールのわが家が彼らの安住の地となり、私もこれを皮切りに少しずつ家の整頓を進めて行くことが出来そうである。
でも、猛烈に疲れた~、もう駄目。私は小さい部屋のベッドをメイクし直すと、ドスンと倒れ込んで、輾転反側、ひどい筋肉痛にしばらく眠れなかった。シャカリキ出すのはたいへんだ~。これに懲りて、毎日少しずつ片づけていくことにしよう。
ああ、人生訓。備えあれば憂いなし。毎日少しずつ身の周りをきれいにして暮らそう。
madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)
「チュクルジュマ猫会」
海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店
アントニーナ・アウグスタ