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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2017年02月04日
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【2月4日・土曜日】


 夕べ(3日夜)は、台湾に帰国する前にもう一度会う約束をしたジヤさん一家と一緒に、オルタキョイのイフサン・クルラルオールさん宅に招待され、晩餐を一緒にして旧交を温める両家の仲間入りをさせて貰うことになっていた。

 異常な交通渋滞が当たり前の金曜日、6時半の待ち合わせに、5時半には家を出るつもりだったのに、女子留学生の件でなんだかんだと手間取って、6時を過ぎてしまった。ジハンギルまで坂を上り、金曜日の交通地獄で待てど暮らせど空車がなかなか見つからず、やっと1台が私を拾ってくれた(客がタクシーを拾うのではなく、タクシーが短距離や雑踏地区は乗車拒否して客を選ぶ)。

 私の乗ったタクシーも海岸通りは駄目だ、遠回りだがカスムパシャからオクメイダヌのトンネルを抜けて国道E-5(エー・ベシ)から行くしかないと若い運転手が言い、まずは逆方向から内陸を回り込み、平日の昼ごろならとっくにオルタキョイに着くくらいの距離を走ってやっとE-5に出るトンネルに入った。

「見てみろよ、テイゼ! ほら、スーイ、スイだろ!」
 トンネルの中はまあ、その通りだったのだが、トンネルを抜け、E-5へのジャンクションに出たらそこは雪国ではなく大渋滞の最後尾だった。ショック

 ついに、車列がほとんど動けなくなったところで、私に電話がかかって来た。
「お客様から何の連絡もないので、今日は申し訳ないけどこれで帰りますが、よろしいですか?」と、旅行会社の友人が成り行きを報告してくれたのである。

 その電話の後、私は一人の時は助手席に座っているので、運転手がちょっと心配そうな顔で話しかけて来た。
「何か、問題があったの? テイゼ。何を話していたか日本語で分からないけど、あんた、相手の人に何度も頭を下げて謝っているみたいだったからさ」

 それを聞いてちょっと苦笑してしまった。そうか、やっぱり私は「あら~、申し訳ないですねえ、すみませ~ん」などと言いながら、外にいて携帯電話で話していてさえ、無意識にペコペコお辞儀してるんだあ。

 そのあとすぐ女子高生にかけた電話で、今度はトルコ語だから運転手さんにも説明しなくても大方の事情が分かったようで、私が電話を切ると早速声をかけてくれた。

「テイゼ、気にするなよ。学生なんかジャーヒル(若くて無分別)だからさ。俺んちも弟や妹が親父や俺にバシバシ口答えするよ。毎日学校に行かれるの、誰のおかげか考えちゃいないんだよ!」

「ありがとう、運転手さん。彼女いまきっと、なにか面白くないことでもあるんでしょう。そのうち、コロッと気が変わって、やはり日本に行かせてって電話をかけて来るかも知れないわ」
「インシャーラー、オイレ・オルスン(そうなるように!」
「インシャーラー、ハディ・バカルム(まあ、様子を見ていましょう)!」

 メジディエキョイ分岐点でE-5から降り、そこからはスイスイとまではいかないが、どうやら7時までにオルタキョイの雑踏に到着、信号待ちで私は車から降りた。招待されている家に小さな花束でも買うつもりでいたのに、その予算はタクシー代で吹っ飛んだ。でも海辺のジャーミイの前で無事にジヤさん一家と出会うことが出来た。

 カレンさんが「ジヤ、加瀬テイゼが疲れるといけないから、早くタクシー拾ってね」と言ってくれたが、ここでも滅多に空車など見つからず、海岸通りを渡ってオルタキョイの街を高台地区のある奥へ奥へと行くうちに、やっと1台拾うことが出来た。

 オルタキョイも海からすぐに切り立った崖のような地形なので、細い道をくねくね何度も曲がってようやく目的の家の前に着いた。大歓迎の声に迎えられて3階への階段を上ると、イフサンさんの家族がみんなで、私のせいで30分遅れたにも関わらず温かく出迎えてくれた。

 イフサンさんのアパルトマンは表から見ると横幅はそう広くないが、奥行きがかなりあって最近模様替えしたばかりらしく、奥さんのセンスがいいのか、どこもかしこも輝いて見えた。

 ジヤさんと私が知り合ったのが2003年、イフサンさんは彼が中学校の英語の先生として、オルタキョイに10年以上住んでいた頃の大家さんで、その当時、賢く控えめなこのジヤ青年を弟のように信頼して可愛がり、何事でも相談に乗ってくれる銀行員だったそうだ。

 数年前定年退職し、何軒かの貸し家があるので悠々自適、しかし機械いじりが好きで、定年後、時計のデザイナーになるための教育も受け、今ではついにアトリエも構えたのだそうだ。

 満面に笑みをたたえた妻のネジュラさんと、娘、息子の4人家族だが、下の階は両親の家、昨年お父さんが亡くなり、今は一人になったお母さんがいて、1階は娘夫婦の家でもあり、そちらにも孫がいるので、お母さんも孤独ではなく、晩餐が済んだらイフサンさんの妹さんとお茶飲みに顔を出してくれるとのことだった。

 クルラルオール家の人々は、まだ見たこともない私のことをよく知っていてくれて、店子のジヤさんが大家さん一家に来ると、私についてもよく話題にしていたらしかった。

 挨拶が済むとすぐ、ネジュラ夫人の指揮のもと、娘さんと下の階から応援に来た姪の2人がサロンの長テーブルに並べられた食器に隣の台所から料理を運んだり、並べたり給仕をしてくれた。まずスープが盛られ、ズラリ並んだたくさんの前菜が食欲を掻き立てる。

setting  
きれいに準備されたテーブル。どのメゼ(前菜)も見事です。

masa1  
メゼの数々とチョルバがとても美味しく出来ています。

patlican dolmasi  
パトルジャン・ドルマス(夏、茄子の皮を乾燥しておいたものにピラフを詰めて煮たもの)

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テーブルを囲むイフサン夫妻とジヤさん夫妻、私

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食後のひととき、イフサン氏の娘さんと息子さん、カレンさんと私

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イフサン氏、息子・娘、ジヤさん夫妻、私、姪、妻ネジュラさん


 やがてみんなが着席し、どの人も目に優しい光が宿っているような、穏やかな表情で話をしたり食べたり笑ったりしている。遠来の客を迎えて、幸福感のたっぷりと漂う一家団欒を見せて貰っている思いがした。最後のメインディッシュが終わると、娘達がさっさと片付け始め、私達はソファに移った。やがておばあちゃんがイフサンさんの妹と一緒に下の階から上がってきた。おばあちゃんとハグして歓迎する孫達。

 そこには、本来のトルコの人々のホスピタリティ、若者達の人懐こさ、両親や祖母に対する礼節をわきまえた、よき時代のよき家庭のすべてが集約されており、ご馳走になった料理の美味しさと相まって、やはりジヤさん達の訪問が、クルラルオール家の人々を元気にさせているのが分かった。

 私も訪ねて行った先で喜んで貰えるテイゼでいたいものだと想いながら、若者達が楽器をかき鳴らし、ミニ・リサイタルを開いてくれたので、私も日本の歌を披露し、時の経つのを忘れて爆笑したり拍手したり賑やかに過ごした。

 11時半過ぎ、イフサンさんがジヤさん達と私を送り届けてくれることになり、みんなに見送られて和やかなクルラルオール家をあとにし、スキーの滑降場のような急坂を下ってぐるぐる回りながら、ウフラムル・カッスル(菩提樹の城)の通りに出た。

 私はイフサンさんの電話番号を紙に書いて貰い、明日、お礼の電話をするのに備えた。ジヤさん達と今年は2回も会えたことで、2014年の僅か2時間程度しか会えなかった無念さをすっかり取り戻すことが出来たような気がした。 

 そしてジヤさんとカレンさんの運命的な出会いを、更に詳しく聞かせて貰ったので、これは後日、素敵な物語に出来そうだ。

 今日の土曜日、私は早朝から日本のさるトルコ関係の会社に頼まれ、一ボランティアとして日本からのお客さんのフォローをしており、8時に家を出てイスタンブールのあちこちを移動し、夕方からカドゥキョイに渡って用事が全部済んだところでお礼に晩御飯をご馳走になり、乗り換えなしのタキシム広場行きのドルムシュ(8~9人の乗り合いタクシー)で、陸路帰ることにした。



 「7月15日シェヒットレル(戦没者達)の橋(かつてのボスポラス大橋が昨年のクーデター鎮圧以後、50年親しまれた名前を、国家元首のツルの一声でこういう長い名前に変えられた)」を渡り、橋の半分を過ぎてヨーロッパ側に入った。

 大きな橋のゲートを見ながら、ああ、この橋のヨーロッパ側のたもとでジヤさんとカレンさんが12年前、赤い運命の糸で結ばれた出会いをしたのだ、と思った。時計を見たら間もなく10時、今日はジヤさん一家はもう空港に入ったかな、と思った途端、私の携帯電話が鳴り始めた。

 確信出来た。ジヤさんとカレンさんに違いない。出て見ると果たしてそれはジヤさんが空港で借りたレンタル携帯の番号だった。携帯を返す前に最後に私にかけてくれたと言う。

 私達は別れの挨拶を交わした。離れて暮らしていても、こんなに長い年月、友情を交わし合えることで、素晴らしい幸福感や感謝の気持ちが、胸の中に改めて広がるのを感じ、ドルムシュに揺られながらも、今日の長時間の歩き疲れさえ、つい忘れるほどだった。








   かに座さそり座いて座
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madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2017年02月15日 19時15分11秒
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