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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2017年12月12日
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カテゴリ:旅に出て人と会う

【 12月12日・火曜日】


 昨晩寝る前にパッキングをしましたが、2ヵ所の店で買ったイスタンブールへのお土産はすべてコンヤ・シェケリ(飴)。ざっと計算したところでは14キロを超えています。ケース自体が2キロ以上ありそうで、貨物で載せられるスーツケースその他の合計が15キロを超える場合は、超過料金を払うか、機内持ち込みの限度を超えない重さで対処するしかありません。私はイスタンブールから持参してきた緑色の大きな布袋を広げ、自分の往路運んできた衣類その他を全部それに移し、2個口の荷物をアブデュラーさんに、前もってターヒルさんの店に運んでおいて貰うことにしました。

 自分のトートバッグにも詰めるだけ詰め込んで、そのほかに入りきれなかった200g入りの飴5袋を、こともあろうにビールの保冷バッグに詰めていました。これは8月に来た時、コンヤの皆さんに納豆をお土産に持ってきた保冷バッグを、恵さんが先日返してくれたものでした。

 朝10時にメヴラーナ博物館駅の前でシェンギュルさんと会う約束をし、朝食を軽くご馳走になってチャーダッシュ家の起きている人々にお礼と別れの挨拶を交わし、トートバッグとビールの保冷箱だけ持って9時半頃家を出たのでした。乗り慣れた25番アドリエ行きのドルムシュが来て、乗り込むとき、先客の人々の視線がビールのケースに注がれるのを、やっぱりねえ、と思いながら運転手さんの脇の席に座ると、7日の夜チャージをしに帰ってセマー会場に戻る時に乗った親切な人でした。私を覚えていてくれたので、今日で帰ります、と挨拶すると、「来年も来ますか」と尋ね、「アッラーとメヴラーナがあなたをお守りくださいますように」と言ってくれたので思わず胸がジンとしました。だからコンヤにまた来たくなるのだ、と思います。

 外気は暖かくコンヤの6泊7日は到着の6日以外、暖かく晴天続きで恵まれた日々を過ごせたことになります。ちょうど10時にトラムワイのメヴラーナ博物館駅に着きました。まだシェンギュルさんは来ていないようです。クッベ・ハドゥラー(緑の塔)とそこに路面電車の近づく写真が欲しかったので、次の電車が来るまで駅で待ちました。
うまく撮れて、彼女に電話してみると、「あら、着いたの。じゃあマダム加瀬、今すぐに店を出るわ」と言う返事、も~う。結局彼女が歩きで到着したのは10時45分、すぐ目の前の、メヴラーナ財団の建物に入り、副総裁のエシン・チェレビ・バイル女史(メヴラーナの直系22代目の孫にあたる)に挨拶に伺いました。11時にはお出かけとのこと、幸いそのちょっと前に訪問出来たので、エシンさんと私は2年ぶりに抱き合って挨拶を交わしました。シェンギュルさんはエシンさんのお気に入りの洋裁師で、彼女の妹の連れ合いが亡くなってチョルム県まで行っていたことで、みんなからお悔やみの挨拶を受けました。

 エシンさんは出かけ、私たちもチャイをご馳走になってお参りに行くことにしました。身支度を整えて外に出ようとしたとき、入り口で上品で穏やかな銀髪の紳士と出会いました。エシンさんの夫君、オスマン・バイルさんでした。10年近く前にお会いしたきりだったので、もう一度中へお誘いを受けたのですが、廟へのお参りと次なる約束もあったので、再会を約しお暇しました。
外に出るとすぐシェンギュルさんが出口の方に回ろうと言い出し、彼女は仕事に出る前にメヴラーナ廟に毎朝のようにお参りに来るし、来るたびメヴラーナ財団の建物に寄っていくので、警備員さんたちも顔パスで出口からでも中に入れてくれるのです。

 まずはメヴラーナ博物館の建物を庭の方から眺められる記念撮影ポイントがあるので、2人で私の自撮りで記念撮影、それから脇にあるハムシャン門から前庭に入りました。シェンギュルさんは、10日以上もコンヤを留守にしていたので、廟内では懐かし気に丁寧に祈りを捧げています。12時半にはユジェルさんが日本からのお客様を連れて、ターヒルさんの店の前で会うことになっていました。

 シェンギュルさんは2004年に私がシェムス・アヌ・ホテルで1ヵ月半ほど滞在し、ルーム・セルジューク王朝の歴史について勉強していた頃のある日、私が教えを乞うている考古学者のヌレッティン先生が一緒に連れてきて、メヴラーナに帰依している女性で、自分の遠縁にあたるシェンギュルさんだ、と紹介してくれたのでした。思えば長い付き合いです。お母さんを早く亡くし、十代で結婚、娘3人を授かったものの、夫が家庭を顧みない暴力男だったため別れ、洋裁師の腕一つで(と言うか、足と言うか・・・)猛烈にミシンを踏みながら子供たちを3人とも大学に進ませた天晴れな女性です。

「マダム加瀬、今度も私にお悔やみに来てくれてありがとう」と外に出るとシェンギュルさんは私にぺったりと張り付いたまま、腕を私の首に回し、頬にチュッチュと口付けしてくれました。今度も、というのは、おととしの9月に、私がコンヤに行く前日、彼女の故郷ホッパ(トルコの東隣の国ジョージアとの国境に近いアルトヴィン県の黒海に面した町)で大洪水発生、何人も激流に流されて犠牲者が出たというニュースを見た私が、バイラムなので彼女も郷里に行っているはずだが、と心配になって電話してみると、シェンギュルさんと娘たちはその朝バスに乗り、コンヤに戻る途中で、長距離バスの休憩時間にドライブインで事件を知ったそうですが、その時点ではまだ親類が被害に遭ったことは知らなかったそうです。私が電話を切り、コンヤに戻ったシェンギュルさんからその後連絡があったのですが、残念ながらその洪水で彼女のおじさんや従妹などが激流に呑まれて犠牲になってしまったのだそうです。

 私もそれより前の9月2日にアブデュラーさんのお母さんが亡くなり、翌3日の午後、葬式の当日ポストニシン様から電話が来て訃報を知ったのですが、9月半ばに当のポストニシン様から相談を受けていた件があり、コンヤ行きのチケットもすでに買ってあったので、その際、チャーダッシュ家とシェンギュルさんのお店に、それぞれお悔やみに行ったのでした。

 それにしても今回、妹さんの夫君が39歳で急逝し、驚いて駆け付けたシェンギュルさんも、初七日の法事を終えてコンヤに戻るにあたっては、妹さんが心配で後ろ髪を引かれる思いだったことでしょう。私はもう今日の午後コンヤを離れるので、次のシェビィ・アルースではなく、それより以前にコンヤを訪問する折があれば、その時ゆっくり話をしようね、ともう一度彼女としっかり抱き合いました。シェンギュルさんも本当の母親に甘えているかのように見えました。
メヴラーナ広場に出ると、ユジェルさんがお客様を伴って、早めにターヒルさんの店に来ているのが見えました。さあ、私にはまた別な出会いが待っているのでした。


 トラムワイの線路を渡り、ターヒルさんの店の前に近づくと、ユジェルさんのお客さんが私たちに気が付き、笑顔で会釈してくれたので、あ、この旅行に満足してくれている、と一目で感じました。シェンギュルさんもターヒルさんやユジェルさんには久々に会うので、挨拶を交わしてから私たちと別れ、二つ先の区画にある店の方角に帰って行きました。

 お客のMさんはカジュアルな服装で化粧つ気もなく、しかし目元にはこの旅行にとても満足しています、という明確なメッセージを浮かべた若い女性でした。トルコに今まで2回旅行していて、メヴラーナについてもっと知りたかったのに、有名なガイドブックでも、コンヤについては1~2ページしか触れておらず、物足りなく思っていたところ、ある日「トルコスキップ歩き(トルコ文化センター刊)」というガイドブックに遭遇、その本ではコンヤについても現地の取材協力者が詳しく説明、特集されているのでそれを見てとうとうメヴラーナをターゲットにした「シェビィ・アルース直行便」とでもいうような日程の旅行を計画、都内のトラベル・エージェンシーに相談、そこからカッパドキアのベテラン・トラベルプランナーのサイマズ陽子さんにコンヤの日本語ガイドさんを探して貰いたい、と打診があり、11月の中旬に陽子さんが私に尋ねてこられたので、私は迷わずユジェルさんを推薦、かくてお客さんの願いが実現したのでした。

 ターヒルさんがチャイを取り寄せてくれたので、外の小さなテーブルの周りに座って初対面同士とは思えないほど、打ち解けて話をすることが出来ました。一昨日、ユジェルさんと事前に出会った日、私はちょうど10年前にメヴラーナ生誕800年祭のときに、メヴラーナ紹介の小冊子、と言っても中味はびっしりの本を日本語に訳したことがあり、もうほとんど在庫も底をついていると思われるので、手元に保存してある何冊かのうちの1冊を持参しユジェルさんからお客さんにプレゼントしてほしい、と頼んだのでした。

 午後1時ころ、私たちのいるところにアブデュラーさんがやってきました。そしてターヒルさんの店に預けてあった赤い小型スーツケースと緑色の大きな袋を自分のタクシーに移し、「2時45分までにここに戻ってくれば、私の都合がついたので空港まで加瀬さんを送っていきますよ」と言ってくれたのです。

 かくてMさんとユジェルさん、私の3人は目と鼻の先の市役所のレストラン「コンヤ・ムトゥファウ」に入り、夕べ私がエスマさんからご馳走になった焼きナスとラム肉の炒め物やサラダでお昼を共にしました。話も弾み、メヴラーナ本は帰国してからゆっくりひもとき、学ばせていただきます、と嬉しそうに言いました。私もまだ初期のころの作品なので今読むと訳し方にも必ずしも満足していませんが、メヴラーナの生涯や、作品集、有名な研究家たちのメヴラーナ論、などなど薄い本の割には文字が小さいので内容はこってりで、当面は満足していただけるだろう、と思いました。

 それにしても、ユジェルさんの協力した本を読んで現地に来たら、ホテルに迎えに来たのがそのユジェルさん、彼と出会った瞬間にMさんはさぞかし驚いたに違いありません。ユジェルさんは最初に行ったメヴラーナ博物館で、実に2時間半もかけて廟や本館、別館になっているマトゥバー(台所)とそれに付随する施設をすっかり説明したのだそうです。

 それらは本の中にも細かに書かれているので、一度見学したMさんにはしっかりと思い出すことが出来ると思います。楽しい1時間余りは瞬く間に過ぎて、昼食はご馳走になり、2時45分、レストランの前で二人と別れ、私はアブデュラーさんに空港まで送って貰いました。せめてガソリン代だけでも取ってください、と言うと「いえ、駄目です。私が家族からお金を取りますか」と笑い、荷物をセキュリティのところまで持ってきて、がっちり握手し頬を擦り寄せて別れました。
 いよいよチェックインです。赤いスーツケースがどのくらいになるか問題です。


 赤い小型スーツケースは、機内にも持ち込める大きさですが、重さは8キロまでと言う制限がありますから、貨物預けにします。空港には3時15分頃着いたので、チェックインカウンターも空いていました。まず赤いのを載せてみると15.7キロと出ました。中味はケース自体の重みといくらか入っている小物の合計で、赤いケースの中には大体13キロ分の飴と言うことになり、私の手にはまだ1キロ分のコンヤ飴がビールの保冷バッグに収まっているわけです。私の衣類その他の入った緑色の布袋だけでも5キロ超、トートバッグはもっと重いので6~7キロあるかもしれません。こんなのを毎日肩にかけて歩いているので、実は肩こりも結構あって、凝りすぎていて凝っているのかどうかもわからない状態です。

 コンヤ空港で飛行機の到着を待つ間、お世話になった方々に挨拶の電話をして過ごし、やが定刻通り飛行機は飛び立ち、定刻より少し早めにアタテュルク空港に着陸しました。赤いスーツケースも順調に流れてきて、機内から両肩にかけて担いできた紐長のトートバッグと布袋を載せ、到着ロビーに出ると空港ビルの出口の真ん前が、送迎のシャトルバスの乗り場になっています。一人で運ぶには重い大荷物ですが、タクシー代の節約と言うより、シャトルバスのハヴァビュス乗り場で会いたい人がいたのです。

 到着ロビー出口のそばの大きな銀行の看板の前で自分の荷物の写真を写し、ハヴァビュス乗り場に行くと私は2つの大きな荷物を預け、「ハレケット・アミリ(シフト管理者)のアブデュルラフマンさんは今日、出勤しておられますか」とカプタン(運転士)に聞いてみました。
「今日は夜勤だから9時頃来ると思うけど、何か?」
「私は彼とハバタシュ(ハヴァビュスの以前の名)が出来た頃からの友達なの。コンヤから戻ってきたので、小さなお土産を渡したいと思って・・・」
「あああ、アブデュルラフマンの日本人のお母さんはあなたですか。もしよければ私が預かって、国際線の乗り場で係りに預けて彼に届くようにしましょう」
「ああ、よかった、ありがとうございます、カプタン」

 私はビールの保冷ケースから取り出した200g入りの飴2袋をビニール袋に入れ、もう一袋をカプタンに差し出し、「これはあなたと皆さんでコンヤの香りを分け合ってね」とプレゼントしました。
6時25分頃バスは発車、ぐるりとカーブを曲がって国際線の出口に停まりました。そこに2人くらい座れるボックス型の詰め所があり、カプタンはそこにいた係員にアブデュルラフマンさんの飴の袋を預け、もう一つの袋は開けてみんなで分けるように、と言ってデスクの上に置きました。乗客がみな乗り込み、集金係が車内に乗り込むときにドアの外にいたカプタンは「4番はアミル(管理者)のお客様だ」と彼に言いました。最前列の席の4番には私がいます。乗車賃が只になったのが嬉しい、と言うのでなく、僅かな物でも人を和やかに出来たと思うと、シェビィ・アルースに行った甲斐があったとしみじみ思います。

 タキシム広場で降りるとき、荷物を出して貰いながらカプタンに礼を言うと「こちらこそ。アブデュルラフマンさんには後で電話しておきますよ」と笑顔で言いました。最近、ハヴァビュスの発着所はここ数年間停留した場所から、タキシム広場の下に降りるトンネルの脇に移動しました。そこはバスの乗降には最も不適切な場所で、バスの幅の脇に乗降するスペースはごく僅か、タキシム広場の地下に降りず、Uターンするバスやタクシー、一般車両で大混雑しているところにあります。
「タクシー、タクシー」と数人の客引きの男たちが声をかけてきます。
「バヤン、タクシー要るかい? どこまで行くの?」
「ジハンギル方面よ」
「今日はデモやなんかがあって、街中えらい混雑なので、ここから別な道を少し遠回りしなくてはならない。40リラ払えば車を出すよ」
「いいえ、要らないわ」」
 すると男は「じゃ35でいいよ」と・・・フン、一生客待ちしてろ!

 もう答えず道路を渡って広場に入ろうとしたら、1台のタクシーがUターンの場所で客を下ろし、空車になったので手を挙げると年配の運転手さんがすぐに後ろのトランクを開け、降りてきて荷物を入れてくれました。
助手席に乗り、「近くて悪いけどジハンギルに行って」と言うと、「どこにでも行きますよ、近い遠いは関係なく、お客さんの行きたいところへお連れするのが私たちの仕事です」
まあ、さっきの雲助たちと大違い。車は最短距離を通り、瞬く間に家の前に着きました。
10リラです。お金を払い、荷物を下ろすとき、私はビールのケースにあと二つ残っているコンヤ飴の一つを、運転手さんにおすそ分けしました。
「おお、懐かしい。私はコンヤの隣のアクサライの生まれでね、子供の頃はしょっちゅうこの飴をなめていたもんだ」と運転手さんは嬉しそうにニコニコして去っていきました。

 さて、アパルトマンの中に入ると、出発の日に壊れていたアサンソール(エレベーター)が直っている様子、苦労なく4階の自分の家まで運ぶことが出来、猫の面倒を見てくれたアフメットさんはすでに午後1時に家を出るとき、缶詰肉を配ってくれていたものの、猫たちはお母さんが来たからご飯だ~とばかり、7匹揃って私が荷物を家に入れ終わり、「チョジュックラ~ル!」と言ったとたん、ドドド~ッと台所に走って行きました。

 ああ、ありがたい、何事もなく家に帰り着き、猫たちも元気、家の中は私がいるときより心もちきれいになっていました。
 コンヤ旅行のお話はこれでおしまいです。
 お世話になった皆様、本当にありがとうございました。








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Last updated  2018年01月31日 22時50分53秒
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