madamkaseのトルコ行進曲

2018/09/08(土)23:13

チュクルジュマ通りも、版画工法で舗装されることに・・・

チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし(796)

​​​​​​​【 9月4日・火曜日 】  昨年(2017)1月、イスタンブールきっての繁華街イスティクラール通りは、工期1年の予定で全面的に改修工事に入ることになり、まずは全行程2キロ弱が車両進入禁止となって、名物のチンチン電車ノスタルジック・トラムワイも向こう1年間休業となり、ほぼ同じころ、イスティクラール通りの入り口にあたるタキシム広場の一角に、巨大なジャーミイ(イスラーム教寺院=モスク)建設の杭打ち式が賑々しく敢行された。  イスティクラール通りはあちらこちらのポイントから掘削工事が始まり、人間も通行禁止の箇所が増え、すべての掘削が終わるまで約半年、夏の暑い盛りにも埋戻しに取り掛かる様子が見られず、雨が降ればドロドロ、風が吹けばものすごい土埃、砂埃。そして埋め戻し工事と舗装工事にまた半年余り。    わが家からイスティクラール通りに出る最短距離として、ガラタサライ高校の敷地に張り巡らされた高い塀の脇を通る細道があるのだが、そこからイスティクラール通りに出てすぐに、掘削の始まる少し前に新装開店したカフェがあったのに、開店休業状態で潰れてしまったらしく、今年の春頃、チンチン電車も復活したものの、私もその店の名前も憶えないうちにまた貸し店舗の看板が出ていた。  アヤソフィア博物館やブルーモスク、トプカプ宮殿のある、イスタンブール観光のメッカ、スルタンアフメット広場などでは、本格的に隅切りのブロック石が丁寧に埋め込まれて、平らな広場になって歩きやすいが、イスティクラール通りも新市街の観光メッカだというのに、仕上げの道路面の舗装は極めてお粗末で、ベトン(コンクリート)を流し、柄付きの大きなへらでならした後、ブロックの模様が刻まれたゴム製のカルプ(型)を並べておき、上から押して模様を付け、ほどなく乾いたら型をはがして、またその先に並べて模様を付ける、要するに印刷工法、版画みたいなものである。  これらはしばらくの間は見栄えもいいが、車が通ると一番上の模様がどんどんすり減って、小石が沢山混じったコンクリートがむき出しになってくる。当然道はまたデコボコに。イスティクラール通りは歩行者天国なので、しばらくは持つのだが、それでも5年くらいするとまた道路付け替え工事で1年以上閉鎖になる、そういう繰り返しだった。  さきほど書いたわが家からイスティクラール通りへの近道は、イスティクラール通りを横切ってほかの地区に行く抜け道になっているため、車の通りが激しく、2年もするとガタガタになる。わが家の前のチュクルジュマ通りもそういう道の一つであるから、道路工事が完成しても寿命はごく短いのだった。現にジハンギルに出るタクタキ坂は、おととし工事がなされたばかりなのに、もう砂利石が露出していて、底の薄い靴や、ビーチサンダルなどで歩いている旅行者にとっては、足の裏がひどく痛くなる道なのである。​​​ 実際に今回、天下のイスティクラール通りがシャッター商店街のようになってしまった期間は1年以上だったと思う。幸いにアラブ諸国からの旅行客初め、今年2018年の夏はかなりツーリストの数も復活し、注目のタキシム広場のモスクはドーム屋根も付属施設もほぼ完成し、最近ミナレ(尖塔)の1基が建て始められた。このモスクの名前が素直にタキシム・ジャーミイになるのか、それとも現大統領の名前が付けられるのか、10月29日に開港となる第3空港の名前が新アタテュルク空港となるのか、それともこれも現大統領の名前、レジェップ・タイイップ・エルドアン空港となるのか、国民はほぼあきらめムードで、トルコリラの大暴落で失業者も激増、空港の名前などもうどうにでもなれ、というほどである。  さて、イスティクラール通りからすると、道幅も狭いチュクルジュマ一帯の道路付け替え工事は、どこからどこまで車両通行止めにして、抜け道がほとんどないために、チュクルジュマに増えた自炊の出来るスイート・ホテル群にこの夏予約した人々には、本当に気の毒な状態の工事が始まり、既に2ヵ月余り、さっぱり進展がなく、送り迎えの車もタクシーも通りに入れないので、大荷物を引っ張れないため、友達同士で支えあって運んだり、一家のお父さんが両肩にリュック、頭の上にスーツケースを担ぐという、すごい格好でデコボコ道をよろよろ歩く始末なのだ。  なんとも気の毒なイスタンブールの思い出になってしまうだろう。もう二度と来たくない、と思っているに違いない。ホテル側もインターネットで工事中のチュクルジュマ通りの写真などを載せればいいのだが、そうすると誰も泊まりに来やしないよね。  今日の写真は、この辺りの工事が始まって1ヵ月余り経った去る7月25日、軍事博物館帰りの私が、メフテルの友人にお土産に貰ったキュネフェの袋や、途中で野菜などを買った袋をぶら下げ、白いパンタロンを汚すまいと、少しまくり上げてチュクルジュマ通りに足を踏み入れたときの記念写真。  も~う、原始的なやっつけ工事で、大勢の奴隷がモッコで土を運んでいる古代エジプト時代の王様の墓、ピラミッドでも造っているかのような様相を呈している。21世紀に入って18年も過ぎているというのに。とにかくどの道でも端から端まで掘り返してからでないと、埋戻しを始めない、通れなくなった車や、歩きにくくてスーツケースも転がせないツーリスト(観光客用の滞在型ホテルやペンションが多い)や、地元の毎日出歩かなくてはならない人の迷惑など、どこ吹く風ののんびりムードでやっているお役所仕事のせいで、いつ出来上がるのか、全然公表もされないし、毎日じりじりしながら見ている我々にも見当もつかない。本当にどうしてこうなんだろう! チュクルジュマ・ジャーミイの階段の上にカメラを置いて、これも自動シャッターで写しました。なんとも情けない格好ですが、毎日こうです。後ろの方がわが家の方向。(7月25日撮影) やっと玄関の前までたどり着きました。せっかく野良ネコちゃんが出迎えてくれたのですが、 荷物が重いので片手でソーセージを取り出すことも出来ず、お愛想なしでごめんね。 うちのアパルトマンの玄関の重いガラス扉は、工事の始まる少し前、誰かが引っ越ししていって、 大きなドラップ(タンス)が出せないので、左側のドアの蝶番を壊して出て行ってしまい、 それきり閉める​ことが出来ず、​ヨネッティジにいくら電話しても見積もりを取っている最中だと 言い、もう3ヵ月も開きっぱなし、泥棒でも誰でも自由に入れてしまいます。 7月25日、私の留守中(軍事博物館でコンサート観賞中)に、ものすごい豪雨がメフテル・コンサートの舞台の後ろに見えました。博物館とチュクルジュマは遠くではないので、その時の雨にチュクルジュマの道路も十分ドロドロになったようです。かつては観光客でにぎわったという、骨董品店がずらりと並んでいたチュクルジュマ通りはいま、​こんな風に地元の人さえ歩くのに困るような状態です。​  私が超多忙だった、と言うこともあるのだが、実はこのパソコンがwindows10を搭載し、ブラウザとして Microsoft Edge を使っていたために、4月以降、楽天ブログの編集画面に何一つ書き込みや編集が出来なくなってしまっていたため、自分では直しようもなく、パソコンお助けマンのイブラヒムさんも遠方の親戚の家に滞在中だったため、たまたま8月30日以来、写真もパソコンに取り込めなくなる、というハプニングで更に困ってしまったた私は、別な友人ヒクメットさんに見て貰い、なんとか難問が解決され、試しに本日からブログに書き込めるかどうか試してみたら、書き込めたのだけど、いざ公開した画面には、下書き中には全然間違っていなかったはずの単語などが、ひどい誤変換で慌てさせられた。 それにまた、楽天ブログは今年の4月に過去の編集画面を廃止し、新しい編集画面に切り替えたため、忙しい日々を送っていた私はいきなり新画面に遭遇して戸惑い、そのうちに楽天ブログがFacebookとの提携もやめてしまったので、Facebookのタイムラインの記事や写真をそのままブログに応用するわけにもいかなくなったため、なんとmadamkaseのトルコ行進曲は今年に入ってからたった数回しか記載出来なかったのだ。  これからは、少しずつでも順調に進められるように、また過去に書き逃した日の記事も、1年以内なら挿入出来るとのことで、こちらも試してゆきたいと思っている。​​​ そういうわけで、どうぞ皆様、当分の間、ご勘弁くださいませ。                               ​madamkase 加瀬由美子​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る