今さら「負け犬の遠吠え」&「オニババ化する女たち」
「負け犬の遠吠え」・・・タイトルが一人歩きしてしまっている、損(?)な本。 負け犬の遠吠え もう1年以上前になるが、図書館で借りて読んだ。私の前に5人以上予約待ちがいた。 なぜ今さらかというと、ブームだったのはもうかなり前になる。そして最近、自分が所属している勉強会でこれが取り上げられ、話題になったからだ。それはともかく・・・。 「負け犬の遠吠え」・・・タイトルが衝撃的。ネガティブであり、それだけで拒絶反応を起こす人もいる。私もそうだった。しかし、私にしてみれば、タイトルで損をしているなあという感想。読んでみれば面白くって、大笑いしてしまった。「そうそうそう!」と共感しながら。 というわけで筆者と同じタイプの人であれば共感し、笑うこともできるかもしれないが、そうではない人は傷つけられることもある。要するに筆者と同じような道をたどってきた(言いたくはないが便宜上)「負け犬」であれば楽しめるし、そうではなく「負け犬」とされた人には笑えない本だ。そしてそういう人たちをとても追いつめる。何よりネガティブな世間用語を作ってしまった責任がある。しかも「ヒト」のとてもデリケートな部分において。 もう一方、「オニババ化する女たち」はどうだ。 オニババ化する女たち 特定の、しかも今ではそう少なくない女性達は、追いつめられるのではないか。勉強会でも言われていたが、問題は著者が現役の大学の教授であるということだ。それは社会的にとても大きな影響力がある。そういった立場の人が表現する事としては問題だ。セクシュアルな部分が多分に含まれているので、ある意味、セクシュアル・ハラスメントにもなり得るか。 別の面で、とても大切なメッセージを発信している事も確か。しかし、あるがままの「私」を受け入れるという考え方はここにはないように思える。少なくとも、今の私の存在は、この本の中では否定されているのだ。 少子高齢の中で戦略にのったのか、のせられたのか。「負け犬の遠吠え」を「セレブな女のつぶやき」または「オニババ化する女たち」を「自分の身体に耳を澄まそう」などといったありがちなタイトルにしたところで、世間から見向きもされなかったのではないか。制作にあたっては、筆者の考えとは別に、ビジネス的にいけるかどうかで内容にかなり踏み込まれることもあると聞く。 本はそれぞれの人の考えや体験をもとに書くものであるから一方的なメッセージになりうる(本とはそういうものなのだろうが)。こういうサイトで発信するメッセージもさまざま。それぞれの考え方だが、少なくとも自分の考え方で他の人が悲しむ事がないことを祈るばかりだ。