|
カテゴリ:きのこ地蔵
ピーカンの週末、待ちに待ったお地蔵さまの旅に出た。三田の波豆集落を中心にまわるつもりがキノコと同じでお地蔵さまが呼んでいるのか行く先々で熱烈歓迎をうけて予定していた地蔵スポットをすべてまわり終えてしまった。そこで、かって幽霊が出たという大坂峠の峠の地蔵さまに挨拶をして、高平から小柿集落方面へと足を伸ばした。そして、小柿。何度も迷ったが、勇気を奮って以前から是非お会いしたいと思っていた『北摂羽束の郷土史誌』正続2巻の著者西村忠孜(にしむらただし)さんの自宅を訪ねてみた。西村さんは小柿特有の言葉辞典をつくろうと目下パソコンに向っている最中だったが、無礼な青二才の不意の訪問にも快く応じてくれた。お会いして縁先で話をはじめると日雷がドカンドカンと大船山方向に落ち、やがて驟雨となった。「なかなか印象的な出会いですな」と西村さんが笑った。私も決定的な出会いだと感じた。西村さんに「今朝、波豆・妙見街道七曲りのはしにある地蔵標識を見てきました」というと「あそこは私の秘密にしておきたい場所のひとつでしたが、とてもすばらしい地蔵でしょう?」とつぶやいた。驟雨のお蔭で小一時間お話する機会を得た私は三田の歴史を色濃くとどめている波豆・小柿地域の秘密の部分について数多くご教示いただいた。お別れして聞きとめた言葉を思い起こし余さずメモしてから十倉、御手洗橋、阿弥陀橋の地蔵をそれぞれ写真に収めて帰途についた。午前中の晴天が嘘のようなヒリヒリと帯電する風景の中を走りながら浦島太郎が竜宮を後にするような不思議な感覚にとらわれていた。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月04日 21時47分21秒
コメント(0) | コメントを書く
[きのこ地蔵] カテゴリの最新記事
|