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カテゴリ:アラカルト
歴史の教科書では崇佛派と崇神派の戦いの結果、殺されたとされる守屋さんだが、そんないかにもの理由では語れないように思われる何かがこの当時の大和にはあった。聖徳太子は当時まだ中学生くらいのハナタレ坊主だから兵を率いて戦ったというのもおかしいし、太子が天王寺建立を手がけられるはずもない。パトロンとされる秦の河勝も太子とどっこいどっこいの歳のようだったし・・・。これはもう蘇我馬子が必然から守屋を殺したと考えるほうが正しい。その後味の悪さから怨霊封じのために建てられたといわれる四天王寺の原型がここに現存していることの不思議さにふらふらと自然と足が向いてしまったのだ。 写真家の時田嬢がムッ苦きのこの近未来を占うおみくじをひいたところ大吉と出たらしく、めでたしめでたしの一日でした。 本日よりムックきのこクラブの読者のために一日1句の句日記をはじめます。 卯月二十日(穀雨) とりどりの傘花過ぎの空の下 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年04月20日 20時30分13秒
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