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カテゴリ:きのこ星雲圏 (俳句メモランダム)
寺門派のモミウラモドキと比叡の夏 ムックきのこクラブの5月の旅は比叡山。延暦寺根本中堂を中心に東塔域をめぐり、横川の良源大師廟に足を伸ばし、坂本へ降り日吉大社まで、きのこと比叡山の根本にかかわる旅を果たしてきた。 坂本に生まれた最澄は比叡山寺開山の祖だが、都の鬼門(=丑寅うしとら方向)封じのため叡山を国家鎮護の城としたというのは後世の付会で、彼の比叡山寺開山の真の目的は古代最大の豪族・秦氏との結合を狙ってのものという聖トポロジィの真実を確かめるべく緑したたる比叡山詣でと相成った。山頂はまだ四月の陽気で八重桜、山桜の名残りの花が青葉におおわれる山々のひまで最期の抵抗を試みていた。 山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺)の対立は最澄亡き後、円仁の赤山明神と、寺門派の開祖となった円珍の新羅明神の渡来守護神をめぐる弟子たちの地位争いから始まったもので宗教人同士の200年に亘る抗争となるが、この日昼食をとった根本中堂を見下ろす文殊堂脇の、円仁の在唐求法の旅を支えた新羅人の張保皐(ジャンポゴ)の顕彰碑のほとりにはミイノモミウラモドキ(このキノコの命名は三井寺での発見がもととなりミイノは三井寺のの意)が点々と顔をのぞかせ、今も山門派をけん制しているようで面白く冒頭の一句が生まれた。(じもんはのもみうらもどきとひえのなつ) 比叡堂のひさしを家とみそさざい 美しい声をはりあげてかまびすしく鳴くみそさざいは伽藍の庇に営巣しているらしく、しきりに往還を繰り返している。(ひえどうのひさしをいえとみそさざい) この日のハラタケグループのきのこはミズゴケノハナ、クヌギタケ、ウラベニガサ、ケコガサ、ナメアシタケ、オニタケ、エリマキツチグリなど、比較的小型種ばかりであったが、それらを楽しみながら奥比叡・横川のつの大師(元三大師・良源座主)の墓へと段々にボルテージを上げ、スリルを楽しむことがもうひとつの目的であったのでいよいよ横川へ。 きつつきのこだまする朱のあざやかな横川中堂を通り、元三大師堂で角大師の護符に興味津々の女性たちをしばし眺めて、角大師の霊廟へと至る。 啄木鳥や朱の鮮やかな堂巡り 翠巒の墓碑もきのこの角大師 元三廟の奥処(おくが)には、まさにきのこの形の墓碑が鎮座ましまし、一同その意外性に大感激。ただ碑の周囲には落枝がうず高く積り、超ご高齢の角大師が夜な夜な活躍する際に足をすくわれ骨折しかねない状態であったので、掃除をさせていただく。翠巒は<すいらん>で緑したたる峰の意。 元三廟の落枝清めて衣更 ふたたび東塔へもどり、淡海を見下ろしながらケーブルで一挙に高度を下げ坂本の日吉神社へ。旅の終わりは日吉大社の東西の本宮を経めぐり、終始水音の絶えない境内に心洗われ車中の人に。(がんさんびようのらくしきよめてころもがえ)。止め句は(くれなずむそうこのやしろしみずなり) 暮れなずむ蒼古の社清水鳴り お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月18日 20時58分55秒
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