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カテゴリ:ジャズきのこ
私はシニア・ハイスクール時代にマルをはじめて聴いて衝撃を受けた。それは『ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT』第二集でファイヴ・スポットでのライヴアルバムだった。 このレコードからあふれ出すモダンジャズの真髄のごときオーラには心底参ってしまった。このLPのすごいのは23歳で亡くなったブッカ―・リトルがB面の『LIKE SOMEONE IN LOVE』ですばらしいソロを残してくれたことだ。私はこの曲を聴く度に涙を禁じえない。それほどリリカルで彼の人生の哀歓がすべて込められていると言っても過言ではないほどの名演奏だったからだ。 マル・ウォルドロンというピアニストの存在はA面の『AGGRESSION』で、なんとも新鮮なタッチで弾きまくる彼のピアノにもくぎ付けになった。 しかし、以後聴きあさるうちにマルのピアノからは遠ざかって行った。出会いの印象が余りに強烈だったからか、なんだあまり芸がないピアニストだなと思ってしまったのだ。 したがって、この『FRNCH STORY』はバルネの「それから」が知りたくて買い求めた。 とりわけ10分にもおよぶ「シェルブールの雨傘」が私のお気に入りだ。 ジャズは70年代にはエモ―ショナルな音の躍動が失せてしまい、私の関心は熱帯音楽へとシフトしていったが、それでも私のアドレッセンスのすべてがジャズストーリイに裏打ちされていることを思うと、スタイルは変わっても私が追い求めてきたのは「青春性」だけだったってことになる。詩も音楽もアートもすべて青春性がみえかくれするもの以外は少しも心に響かないのだ。 さて、色呆け老人になって青春性もへちまもないだろうと言われそうだが、それぞれの年代毎に青春というものは、肉体はいざしらず、本人次第で死ぬまで持続可能であることは私が証明するまでもなく多くの先人たちが証明してきた。 私も修羅そのものとなってでも青臭く息巻いてやろうと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月27日 22時17分20秒
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